トップアスリートになる確率と才能と努力の貢献度

NCAAの調べでは、全米でバスケットボールをやっている高校生のうち3.4%が大学でもバスケットをプレイし、更に大学生のうち1.2%がNBAでバスケットをプレイしているそうだ。だいたい高校生からプロに行くまでの確率は0.03%。1万人中3人。

アメリカの高校では日本のような部活動システムがないので、日本の高校部活動はもっと厳しい確率になる。バスケットボールは高体連の発表では競技者数は9万人。中学は17万。ここ数十年で田臥選手含め数名がNBAにチャレンジまたは入団したが、確率的には数十万分の何人という話になるだろうか。

だいたいオリンピックに出場する選手が600名ほどいて、メダリストはそのうち20名ー50名(団体競技は複数名にメダルがもらえるため、メダル数とメダリスト数はずれる)だろうか。さてそのうち、ほんの数年前のロンドン五輪のメダリストを思い出すことはできるだろうか。一般の人が認識しているトップアスリートは、スポーツ界の中でのトップアスリートよりはるかに少なく、せいぜい現役選手では20-30名以内というところだろう。

ここまでが確率の話だとして、努力と才能はどちらが成功に影響しているのか。

私の場合、大学ぐらいから練習量というのはさほど個人間では違わなくなった。にも関わらず選手の間には歴然とした差があって、それを努力の差というのは実感とあまりにもずれる。また、スポーツをある程度やったことがある人間にはすごい才能と向き合ったことがあると思う。あれを努力でなんとかできるということは私には考え難い。

興味深いのは、勝った選手は努力の割合を高めに言い、負けた選手は努力の割合を低めにいう傾向がある。君が負けたのは努力不足だからだと勝者はいう傾向にあり、敗者はいや努力ではなくてもともとの才能の差だったという傾向にある。私は比較的勝者の認識バイアスは強いと思っている上に、勝者しかメディアに出ないし本は出回らないことを考えると、世の中は努力を過剰に評価しすぎているのではないかと考えている。

努力はとても重要だと思う。努力の否定を私は全くしないけれど、ウサインボルトを努力で生み出すことはほぼ不可能だと皆思っているのではないか。トップアスリートが数千人いる(国内の五輪代表を含めた五輪候補の数)という考えであれば、努力すればある程度トップアスリートになれる。だがトップアスリートを世界で数十人と定義すると、当たり前のように努力している集団でさらに一握りの人間ということになるから、私は才能の比率がかなり高苦なるのだろうと思う。

同世代の敗れていったアスリートを努力不足だという一言で切り捨てることは私にはできないし、彼らの努力を知っているからそれは事実ではないと思う。

2015年10月03日 blogより

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