自由な人が生むざわつき

自由な人がいる。仕事をしたい時にしかしない。余ってはいないけれどさほどお金に困っていない。好きな人とだけいて、嫌いな人とは会わない。大きな夢はない。困っている事も無い。欲もさほどなく、流れるままに生きていくんだと言う。

自由な人が大人に説教をされる。そんなんじゃだめだ。成長が止まるじゃないか。もし将来何かあったらどうするんだ。夢を持て。嫌な人とでもうまくやっていくすべを覚えろ。社会にもっと貢献しろ。静かに聞いていた自由な人は、そっと大人と距離を置いた。

彼の人生は問題だろうか。また彼の人生は私達の人生にとっても問題だろうか。なぜその大人は彼の人生を問題だと感じたのだろうか。そしてなぜ自由な人に一言言いたくなったのだろうか。

こういう生き方をするべきだし、こういう人生は素晴らしいという価値観を強く持って生きている人にとって、そうではない価値観を持った人が苛立つ時がある。自分が我慢したはずのものを我慢しない人。自分がずっと欲しがってきたものを欲しがらない人。しかしその苛立ちをそのまま出す事が恥ずかしい事を大人は知っている。自然と苛立ちは説教や親切に変わる。

自由に生きている人がいる。自由に生きられなかった人がいる。価値観は人生の指針なのか、それとも呪縛なのか。

2014年09月25日 blogより

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