あるがままと現状肯定の違い

よくあるがままを受け入れようという話をすると、それじゃあ現状の問題は何も解決されないし、社会もよくならないし、ただの体制迎合だ、という意見をもらう。

まずあるがままを受け入れることは、言葉の通りあるがままを受け入れているわけで、現状を肯定しているわけでも否定しているわけでもない。石がそこにあるから石がそこにあるという世界と、石は丸であるべきなのにあの石はなぜ角ばっているんだという世界の違い。サバンナでシマウマがライオンに食べられましたという世界と、ライオンに食べられたシマウマがかわいそうじゃないかという世界。あるがままの世界には善も悪もない。

一方現状肯定の方は、現状に問題はあると思っているけれど、解決するのも面倒だから、理屈を考えて不条理を受け入れましょうという考えに近い。現状を変えるのは困難である→だから捉え方を変えることで対応する→目の前にあるものの捉え方を変えて悪から善にする。確かに現実の不条理に屈服する、または蓋をする形なので、こういう人ばかりでは世の中は何も良くならないし、腹の底に不満が溜まるというのはよくわかる。そしてそもそもこの世界には悪と善が存在している。現状を悪と捉えるか善と捉えるかでしかない。

あるがままを受け入れるというのは、そもそも見る人がいなければ悪も善も、この世界すら存在しないという立場にたつことだと思う。私がいなければ私にとっての世界はない。一方現状肯定は否定すると辛いから肯定する方向に変えようという眼鏡の架け替えだと思う。全ての認識は眼鏡をかけていることに気づいたところから始めましょうという世界と、眼鏡の架け替えによって対応しましょうと違いではないか。

あるがままを受け入れるということは、まずそのままを一旦受け止めようということだと思う。その上で、”私”がすべきだと感じることをする。世の中のあるべき形に近づけるのではなく”私”のすべきだと思うことを成す。なんだ結局同じじゃないかと言われるかもしれないが、私はこの二つは大きく違うと思っている。私がいなければ善悪はない。あるがままには私がいない。現状肯定には私がいる。

世の中は不条理で不公平で、生まれてすぐ亡くなってしまう子もいれば、生まれた時には一生使いきれない財産がある人も、善いとされる行いをしながら病気になる人も、悪いとされる行いをしながら健康に生きる人もいる。あるがままと現状肯定の違いがわからない人は、自分が善悪を決めているということもまたわからない。

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Amigo!
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コメント1件

少し話が違うかもしれませんが、僕は体調不良で仕事を休むときにものすごく悪いことをしている気持ちになります。
幼稚園の頃から集団に馴染めずに休みがちなことがあって、幼稚園や学校を休むときも、みんなが行っているのに自分だけ休むことに罪悪感があって「休みたい」と言い出すために鬱のようになったりしました。

どのみち行けないのだから休む理由はなんでもいいと思うこともありますが、やっぱり休むことには大きな罪悪感を今でも覚えます。
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