余計なお世話

 謹慎に入ってから20時間たったので自主的に復帰します(^^)

 みずから気づき、みずから行動するのが良い、というのは先天的なのか後天的なのかは不明ですが、小学校2年時に同級生で草野球チームを作ったり、中学校入学したらサッカー部設立へ向けて署名を集めたり、高校入学したら吹奏楽部設立目指してサークル作ったり(これは3年時に校内的に同好会として成立。のちに部へ昇格。)、大学では弦楽サークルを作り、ということからすると、自分から仕掛けるのが好みなのは間違いないでしょう。
 だからこそ、自分で判断し行動することを求めているのだと思います。特に進路決定には、生徒自身が判断し決定をするように指導していたと思うのです。
 判断材料はこれ、選択肢はこれ、で君はどうする?このラインから向こうは君のテリトリーだから君が決めなさい。といったスタイルを厳守していたように記憶しています。

 これを打ち破った瞬間、と記憶していることがあります。
 どうしても決められないと相談してくる生徒。それに対して、思考の整理(おっと今の個人事業の主要メニューがここで出てきましたか!)をして、選択肢や材料を並べます。それぞれのメリット、デメリットを確認します。さぁ、あとは君が決めるだけ。
 これを3日間長い時間対峙していました。締め切りが迫っていてお互い真剣かつ深刻に考え、保護者とも毎晩連絡をとっていました。4日目の放課後も同様となり、夜に帰る時間になっても決断できない生徒に対して、ついに意を決して、クロセの考えを話しました。翌日、生徒が久々の笑顔で結論を告げてきました。クロセの考えがこれっぽっちも入ってない結論でした。
 これが妙に爽快でした。卒啄同時というのでしょうか。いままで決めていた矩を超えてクロセは切り込んだ、そしてそれに応えたかどうかはわかりませんが、生徒は自分のオリジナルの決定を出してきた。
 人のテリトリーに入るのを怖がらなくてもいいんだ、とか、こういう方法があるんだ、などと強烈に印象深い出来事です。以来、クロセはこう考える、というアイメッセージ的な言い方も使うようになり、ひたすら答えを待つだけではなくなりました。

 昨夜思い出して凹んだ余計なお世話の数々は、私的な面では中1から行ってきているようですが、教員としての進路指導の場面において余計なお世話は、ここから始まるのかもしれません(>_<)

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