見出し画像

『政治の起源 人類以前からフランス革命まで 上』

『政治の起源 人類以前からフランス革命まで 上』(フランシス・フクヤマ、講談社)を読んだ。政治学がこんなに面白いとは。こんなにシンプルに世界史を新たな視点でとらえられるとは。21年前に『歴史の終わり』を書いたフランシス・フクヤマが国家の「始まり」を語る。支配者一族の利益を追求する部族社会を脱して、広範な公共の利益に奉仕する国家は、どうのように誕生し、発展し、衰退するのかを解説する大著(上下、上下で4冊になるらしい)の第一巻。

フクヤマは近代的な自由民主主義を実現する基本的な政治制度として(1)国家制度、(2)法の支配、(3)民主的な説明責任、の3つがあるとし、上巻では(1)国家制度を取り上げている。まず独創的なのは、国家の起源を西欧近代国家の成立ではなく、そこから1800年も遡って紀元前3世紀の中国の秦と前漢に見ている点。他にこの巻ではインドと中東の国家の起源を参照しており、アジアの文明中心の視点で国家の起源を語る。ヨーロッパはむしろ例外的な発展モデルとしてとらえられている。だからホッブズ、ロック、ルソーの社会契約論も本質ではないと批判される。社会契約よりも前に原始的な部族社会がある。

「ひとたび国家が出現すると、親族関係は政治制度の発展にとって障害となる。親族関係は、国家制度を、再び小規模の、個人的、私的なつながりを基礎にする部族社会に引き戻す脅威となる。したがって、国家は出現するだけでは十分ではないのだ。国家が存続するためには再部族化、もしくは、支配者の親族や友人が国家をまるで支配者の「家産(一家の財産)」のように扱う状態、すなわち「家産制の復活」と呼ぶべき状態を斥けねばならない。」

フクヤマは、この家産制復活の動きを克服するため、さまざまな試みが成されては淘汰されるうちに、近代国家に必要な諸要素が揃っていったとみている。たとえば中国の初期の支配者たちは、縁故とは無縁に事務を行う行政(科挙制度が例)を実現して、既得権を持った家族や親族集団の力を切り崩そうとした。オスマン帝国では、異教徒の奴隷を一代限りの高級官僚、エリート軍人(イエニチェリなど)として遇する特殊な制度を発達させた。権力の腐敗や寡占に抗うユニークな仕組みがアジアでは発展していた。

「成功する秩序というものは、親族関係が持つ力を抑圧する必要があるということだ。そのために国家の守護者たちが国家とのつながりを、家族に対する愛情よりも優先するようにさせるなんらかのメカニズムが必要なのである。」

人々はなぜ親族関係を捨てて、既得権を国家に移譲するのか?。フクヤマは暴力と強制の結果として国家が作られたという。地理環境の制約によって逃げ場がない地域では、組織化が進んだ別の集団によって抹殺される脅威を感じると、自らの属する集団による国家支配を受け入れるようになる。群雄割拠の状態にあった古代中国には、それらの条件が揃っていた。中国と同時期に文明が発展していたインドでは国家の成立は遅かった。バラモン教の社会システムは国家が権力を集中させることを阻んだからだ。中東ではイスラム教が部族社会を脱する大きな役割を果たした。

まだ第一巻だが、ヨーロッパ中心の政治制度の発展史観を完全に覆し、オルタナティブな世界史観を見せてくれる。日本人は中国の「史記」にも親しんでいるからなおさら面白く読める内容だと思う。政治学、社会学、歴史学、哲学、自然科学の視点を総動員して、ダイナミックに総合する知性に圧倒されて読んでいる。ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』やジャック・アタリの『21世紀の歴史』と同じ知的興奮がある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?