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AIを利用したある試み~AIは「正義」を持ち得るか?~真の「怖さ」とは

今に始まったことではないが、ツイッタランドはルサンチマンに満ち溢れており、常に誰かが誰か(もしくは何か)を叩いている。
某「祭り」の連中からすると、ネトウヨは「叩くと面白い音がするオモチャ」なのだそうで、(非常に迷惑極まりないが)24時間体制で叩いて遊んでいるようだ。
それはともかく、つい先だって日赤の献血ポスターがツイッタランドの「オモチャ」として登場し、物議を醸した。
実に下らない議論ばかりだと思うのだが、面白い「試み」があったので、それを取り上げて論じてみたい。
なお、面倒なので本稿では便宜的かつ限定的に「機械学習」を「AI」と呼称する。

宇崎ちゃんは本当に"過度に性的"なのか?

初めに断っておかなければならないが、私は『宇崎ちゃんは遊びたい!』というマンガを知らないので、今回の騒動で初めてこの「宇崎ちゃん」なるキャラクターの絵を見た。
なるほど、某とらのあな等の店舗でよく見かける、18禁系同人誌に出てきそうなありふれた絵だとは思うが、

と、ツイッタランドで議論を巻き起こしたとされる、米国人男性のツイートにあるような「過度に性的」な絵だとは思わない。
そもそもこの米国人男性が言うように「過度に性的」な絵を日赤が使ったことに失望したからと言って、大騒ぎをするようなことなのか?と訝しく思うだけだが、日本にいる反日フェミ界隈がお得意の「表現規制」等を持ち出して騒いだのだ。
この「宇崎ちゃん」なる萌え絵(マンガ)を米国人男性やフェミ界隈、そしてその支持者等が「性的だ」と思うのは勝手であるし、私のように何も思わない人間が「性的ではない」と思うのも勝手な話である。
要するにそれは絵を見た人の「主観」でしかないのだから、良いも悪いも水掛け論でしかない。
そこに何らかの結論を出そうとする方が無理で、反日フェミ界隈は必ずしも「結論」が欲しいワケでもあるまい
そこで、「じゃあAIで判定してやんよ」と、あるエンジニアが面白い実験をやり、その記事をQiitaに投稿したので紹介したい。

AIどころかITもよくワカラン人には意味不明な専門用語ばかりで読みにくいと思うが、上記記事の重要だと思われそうな箇所をななめ読みしてみていただきたい。
記事を書いた人は、何を問題として提起しているだろうか?

AIに対する誤解と「思考停止」について

上述のQiitaの検証記事によって、めでたく(?)「宇崎ちゃん」は「性的ではない」とAIによって判定された。
記事ではその判定結果に一定の有用性が示されてはいるものの、次の問題をしっかりと提起している。

・AIが判定の根拠とした「不適切な画像のデータセット」は公開のしようがない
・倫理的な基準(データセットその他)を公開し得ないAIにおいて、その倫理的な判定は様々な危険性を伴う

コンピュータというのは、ザックリ言えば入力情報から出力情報を得るための「計算」をする機械(ソフト込み)でしかない。
技術革新により、現在では今まで不可能だと思われた膨大な情報を入力情報として与えることが可能になり、ディープラーニングや機械学習といった「計算」によって、人間を凌駕する出力情報を得るまでになった。
つまり、AIは実用段階に入りつつあるのだ。
だからと言って、「画像が性的かを判定」する機械学習モデルが存在し、しかも米国Yahoo!が開発して公開しているというのは笑えるが、それを利用して実際に検証してしまうのだから、IT業界は面白い人材の宝庫である。
ともあれ、Qiitaの記事でも危険性が問題として指摘されているが、「AIが判定したのだから間違いない」といった、多分に情弱的な勘違いに起因する「思考停止」も危険である、と言えるだろう。
鉄腕アトムやドラえもん(といった「強いAI」)は、マンガやアニメの世界では自ら「思考」し、善悪や正義といった「倫理観」すら持っている。
それに対し、現在のコンピュータ科学では「弱いAI」しか開発し得ないので、現状ではどんなに優秀なAIが開発されたとしても、自ら思考することはない(思考しているように見えるだけ)。
当然、善悪や正義といった倫理観も持ち得ない。
あくまで(現時点での)AIは、人間が使う「道具」でしかないのである。

道具が思考したり、善悪を判断して正義を行うだろうか?

当然ながら、答えは「ノー」でしかない。
もっと言えば、人間だとて「正義」は人によって違うのだし、何が正しいのかは「時と場合」にもよるだろう。
究極的に言えば「正義」は「哲学」の問題として、約2500年に亙り数多の哲人によって論考されて来たが、未だに万人が納得する結論は出ていない。
つまり「正義」とは、最終的にはその時代の人間が悩み、考え、血を吹きながら決断を下すしかないのだ。
AIはその人間が考える最適な材料を提示する「道具」でしかない。

グローバリゼーションで全体主義が浸透する怖さ

ここまでは「AIは人間を超越し得ない論」として、割とありふれた話だろうと思う。
私が近年感じている「気持ち悪さ」と「怖さ」はAIの台頭や、その危険性についてではない。紹介したQiitaの記事は本当に優秀だと思うが、その「感想」でも問題が提起されている。
つまり、「全世界において,倫理観の共通認識がある.自分が生まれてきた国や地域の倫理観は正しい.」といった前提がネット時代の現在では崩壊しつつあり、「ある地域では適切であったものが,他の地域で不適切である.」という現象が如実に現出している。
それはフェミ界隈が振るう「ポリコレ棒」や、「ヘイトスピーチ」に象徴されるような「自由・平等・平和(宗教)」の問題である。
この「自由」「平等」「平和(宗教)」に関する諸問題も、究極的に言えば人間の「正義」に帰属する哲学の問題領域ではあるが、その背景にある「グローバリゼーション」が「全体主義」的な様相を帯びているのが問題である、と私は考える。

例えば、グローバルIT企業のGAFAはどこに税金を納めるのか?

GAFAとは、米国企業のGoogle・Apple・Facebook・Amazonの4社を指すが、国境のないネット上で生み出される利益は、さて、どこの国の税金として計上されるのが正しいのだろうか。
ひとつの答えとして、タックスヘイブン地域へ利益を計上し、そこで税金が落ちるようなことをやっているのが現状だ。
それでアメリカが強くなり、再び偉大な国になりますかいな?
だから、米国西海岸に多く生息しているITエリートの富裕層は概してリベラルで左派であり、反トランプである。
アメリカの世界的なミュージシャンやハリウッドスターといったセレブも、ほとんどリベラル・左派・反トランプのようだが、GAFAのITエリートと同様、アメリカ本国のみで商売をしていない、という共通点がある。
また、日本の左派で反日活動をしている活動家ほど「地球市民」を騙るが、米国のITエリートやセレブと同様、「国境は要らない」(むしろ邪魔だ)と言っている点で同質だ。

よく考えてみて欲しい。

リベラルを自称する勢力は、「自由」と「平等」の美名の下に差別を再生産し、自分達に都合の悪い言論を封殺しにかかる。
「平和」の美名は「宗教」の別名で、あらゆる宗教的・民族的対立を武力と暴力によって制圧してしまう。
無論、中共による彼の国の法輪功やキリスト教弾圧、チベット(仏教)とウイグル(イスラム教)の弾圧と民族浄化もこれに含まれる。
日本国内でも、ありもしない先住民族の「アイヌ」と、歴史修正主義的な歴史観に立脚した「琉球民族」といった日本と日本人を分断する問題が現出しているし、「ウリスト教」と揶揄される韓国由来の怪しいキリスト教に、北朝鮮由来の「主体(チュチェ)思想」といった宗教が「平和」を盾に反日活動に勤しんでいるではないか。

そもそも、富が一部の富裕層のみに流入しているのがオカシイのだ。

適切な資本主義社会(例:昭和までの日本)では「公平な富の再分配」がなされるハズで、間違っても共産党が主張するような「資本主義を放置すれば一方的に貧富の差が広がる」といったモノではなかったハズである。
しかし、現在は20世紀初頭に隆盛した共産・社会主義社会が理想とした全体主義社会に、驚くほど似ている。
例えば、

・なぜChinaでは国内で共産党幹部による汚職が絶えないのか
・なぜChinaの富裕層は日本の不動産を爆買いするのか
・国民が飢えていると言われる北朝鮮の金正恩は、なぜ太っているのか
・日本共産党の不破哲三は、なぜあんな豪邸に住めるのか
・志位和夫は、なぜ改選もされず19年も日本共産党委員長をやっているのか

こうした現実がある中、この構図を一部のエスタブリッシュメントの富裕層と、ニューリッチと呼ばれるニューカマーの富裕層が支える構造になってやしないか。
日本ではバブル崩壊からの約30年ほどで、所得格差が大きな経済格差となって差が開いたが、世界を見渡しても、先進国では経済格差が国内を様々に分断しているのが看て取れる。
私は、国境のない「グローバリゼーション」という資本主義に名を借りた帝国主義的全体主義が世界を覆い尽くそうとしている、と感じる。
一部の富と権力を持つ者だけが支配階級として固定的に君臨し、それ以外の階級が等しく貧乏で固定的に貧しいままに搾取され続ける社会は、地球規模の国境なき共産・社会主義化であり、共産主義国家成立の悪夢の再来だと思う。

「宇崎ちゃん」の絵(巨乳)は「過度に性的」か?

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たったこれだけの話なのに、実に様々な問題が隠れ潜んでいる。
知らない内に日本と日本人が世界的な「全体主義」に組み込まれており、その価値観が浸透していると言える。
この問題の本質をどれほどの人が理解し、「ヤバイ」と思っているのだろうか。無関心ゆえの無自覚であれば、これはまた別の意味で「怖い」問題でもあるだろう。
日本において「宇崎ちゃん」の絵に問題がなければ、別に外国人である米国人男性にどうこう言われる筋合いも必要もないし、それを日本国内で問題視する方が、本来的にナンセンスだ。
ところが、それを「ナンセンス」にしておかない「ある地域では適切であったものが,他の地域で不適切である.」という現実が、全体主義的かつ世界的な問題になり得ている。
実際、米国人に日本人が「問題がある」と指摘されて様々な(ほとんどが無駄な)議論を呼び、物議を醸したのだから。
そしてこういった問題は今後も絶えず噴出し続けるだろうと思う。

それでもアナタは相変わらず、無関心で無自覚のまま思考停止ですか?

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