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私は何を売るべきだったのか・・・?

私が正社員としてプロの仕事を開始した当時はNECのPC-9801帝国時代で、MS-DOSでのシステム開発だった。当時は主にバーコードを使ったFAシステムの設計・開発をやっていたが、思えば画面をフルに使ったユーザインタフェイスでしかあり得ず、その後、Windows3.1で某業界向けのパッケージシステムの開発を皮切りにWindowsでの開発を散々やったが、当初の要求仕様としては「画面は全画面表示」だとするものだった。
当時はMS-DOSからWindowsの過渡期で、MS-DOSのアプリのように「リッチなキーボード入力」も、ユーザに使ってもらうシステムとしては重要なファクターではあった。それゆえに大変苦労をしたものだが。
Windows3.1からWindows95ぐらいの頃は、今とは比較にならないほどパソコンのリソース(メモリ・CPU能力・ディスク容量その他)がチープだったし、モニタもブラウン管の15インチが相場でもあったので、画面の解像度は最大でXGA(1024✕768ドット)ぐらいのモノだった。
MS-DOSの頃から数えれば30年が過ぎているが、どうやら私は、SEとして「売るもの」をずっと間違えていたような気がする。

全画面表示の分かりやすさと、それゆえの情弱と

ポストPC(パソコン)」と言われて久しいが、今やパソコンは持っていないが、スマホを持っている人は圧倒的に多く、「スマホじゃ画面が小さいしキーボード入力が出来ないから」と言うビジネスパーソンの多くは、タブレット機器(AndroidタブレットやiPad)を愛用しているのだろうと思う。
私はパソコン歴が38年になろうかというような人間なので、パソコン以外ではAndroidスマホぐらいしか持っていないが、ずっと疑問に思っていたことがあった。
Windows3.1の頃から言えることなのだが、パソコン初心者ほど「アプリを全画面で使いたがる」という現象だ。当時は「Windowsの使い方が分からないのかな」ぐらいにしか思っておらず、それに当時はパッケージシステムに限らず業務システムでも「全画面表示」が普通だったので(モニタその他解像度にも限界があった)、特に疑問は持たなかった。それに私はずっと開発畑なので、一般ユーザとの接点も薄いっちゃ薄い。
ところが、Windowsが95から98や98SEを経て2000になり、XPになっても(Vistaはすぐ消えたからどうでもイイが)Windows7になっても、それがVistaに勝るとも劣らない失敗作だった8や8.1を経た昨今のWindows10でも、パソコン初心者を自称する人ほど「全画面表示でアプリを使う」という現実がある。

何故なのか・・・?

通常、私たちのようなSEやプログラマは、複数のアプリ画面を立ち上げながら(もしくは物理的に複数のモニタを使いながら)設計や開発を行うので、画面を1つのアプリに専有させるような無駄な使い方は絶対と言っていいほどしない
一応、WindowsはマルチタスクOSなので(マックもMacOSⅩからはUnix系の完全マルチタスクOSになった)それが当然で当たり前過ぎるので、私は「なんでこんな(全画面表示をしている)使い方をしてるんですか?」と質問することがしばしばあった。私からしたらだからだ。
ところが、質問された側は(パソコン初心者だからか?)「えっ?」と言葉に詰まり、私の質問するところが理解出来ないようだった。私も大人なので(?)「まぁ、個人の使い方は千差万別だろうから」と思い、それ以上は深く突っ込むこともしなかった。

思えば、パソコン初心者との理解し難い溝が深まるばかりだった・・・

最近、私はTiddlyWikiについてブログ記事を書いたが、その中で「ウェブページをクリップして自分のメモにする」というトピックを書いていて、ハタと思った。「これって、アプリを(ブラウザでさえも)全画面で使う人には理解不能なのでは?」と。

そこから色々と今までパソコン初心者ユーザの不可解だったパソコンの使い方や、昨今のスマホやタブレット(iPad含む)の隆盛(安いしね)とパソコンの凋落(高いしね)を考えるに、私なりにひとつの仮説を導き出した

アプリを全画面で表示する以外に、初心者は使い方を知らないからでは?

つまり、いくらマルチタスクOSで複数のアプリが立ち上がろうとも、パソコンに弱いユーザはマルチタスクやマルチウインドウなんてモノは(タスクの切り替えさえ)理解不能で、「今自分が操作しているアプリが全て」なのではないだろうか?という仮説だ。
私がスマホ嫌いなのは、1つのアプリが画面を専有してしまって(パソコンとは違って)非常に使いにくいからなのだが。

そう考えると、色々と合点が行く。

私はマックに関しては漢字TalkからMacOS8.1までで、それ以降は見切りを付けたから最近のマックは知らないが、昔からマックがいわゆる「情弱」で「ミーハー」なヤツ等にいやに人気があるので不思議に思っていたが、それは初期のマックシステムからMacOS8.1まで(MacOS9もそうかも知れないが)マック特有のユーザインタフェイスがマルチプル・ドキュメント・インタフェイス(MDI)だったから(簡単に言えば、1つのアプリが画面全体を専有するから)では?
だから、プログラムどころかスクリプト1つ書けないような連中が昔からマックを偏愛していたのだと考えると、非常に納得が行く。その延長線上にiPhoneiPadがあり、似たようなスマホOSのAndroid(タブレットにも使われているが)があるのだと、ようやくスッキリしたような気がしたのだ。

マイクロソフト帝国の落日

マイクロソフトは(古くからはMS-DOSからだが)Windowsで「パソコンOSの覇者」といったイメージが一般的かも知れないが、元々は創業者のビル・ゲイツとポール・アレンがワンボードマイコンに毛が生えた程度のアルテアにBASICを移植して成功し、そこからパソコンのプログラミング言語メーカーとして成功して(色々なタイミングが重なったのもあって)MS-DOSで大当たりしたに過ぎない。細かく書くと本が1冊書けてしまうから端折るが、Windowsの成功で「マイクロソフト帝国」を不動のものとしたのは論を俟たない。
しかし、インターネットに出遅れ、サーチエンジンやネット広告その他、クラウドですらGoogleやAmazonの後塵を拝しているような感じである。
そもそも、マイクロソフトはパソコンを一般人が使えるようにした歴史と伝統(?)があり、それが各種プログラミング言語だったり、パソコン用OSだったり、パソコン用Officeソフトだったりしたワケだ。
そこでインターネットだが、元はアメリカのARPANETに端を発するモノで、そもそもは軍事基地同士でコンピュータ通信をする際に、複数のノードでパケット通信をすれば有事の際に何箇所か通信回線がヤラレても通信が可能なんじゃね?という発想から整備された。それが大学や研究所同士のコンピュータ通信に使われ、現在のインターネットに発展しているが、80年代までは誰もインターネットが商売になるとは思っていなかったのも事実だ。

※筆者注
上記の記事「オペレーティングシステム」の項で「UUCPネット(注:現在のインターネット)でジョークを世界中に飛ばし、冒険ゲームとリサーチペーパーを書くだけの話だ。」と記述があるのを指摘しておきたい。

マイクロソフトはWindowsフォンでシェアを獲得することが出来ず、スマホOSでGoogleやAppleの後塵を拝している。パソコン向けOSでは圧倒的なシェアを持ってはいるが、そのパソコンがスマホやタブレット機器に食われている現状を考えると、マイクロソフト帝国といえどもローマ帝国と同じような運命を辿るのではないか、と思わずにはいられない。

結局、何が言いたいのか?

マイクロソフトも、私のような市井の名もなきSEも、結局は「ユーザが何をしたいのか」もしくは「ユーザが何を求めているのか」について、大きな誤解をしていたのではないだろうか、ということだ。
1980年代初頭の日本におけるパソコン黎明期から現在まで、マイクロソフトや私のようなSEは、まがりなりにも「ユーザが求めている」だろうことを満足したとは思う
しかし、高度に発展したコンピュータとソフトは、それを使いこなすことを必ずしも一般人は求めていないのではないか。
もっと言えば、「ユーザがやりたいことを満足させる」と言った意味で、マイクロソフトや私がインターネット技術に出遅れ、ある意味乗り遅れ、ユーザから置いてけぼりを食わされたのではなかったか。
ユーザは、パソコンやソフトの高度な技術が欲しかったワケではないだろうし、それを実現したところで、ユーザの求める結果に近い結果はもたらしたかも知れないが、真のニーズではなかったように思う。
多分に日本人的な表現を使えば、「ユーザが満足して笑顔になること」を、我々ソフトウェアの開発に従事するSEは、プロとして追求するべきだったのでは?と思う。
究極的には「人が笑顔になる」システムを、我々は提供して対価を得るべきなのだろう。そういった意味で、私はこの30年ちょっとの間、ワケも分からず「本当に売るべきもの」を知らずにいたのかも知れない。

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このソフトの画面はその昔、駆け出しのフリーランスの頃に某研究所で汎用機(大型コンピュータ)のSO(システムオペレータ)をしていた際に開発したタッチタイピング練習ソフトだ。
某研究所のSOは某社の大卒未満の墓場で、IT系専門卒でも情報処理技術者の資格を持っていなければ、開発現場にすら入れないような会社だった。流石にIT系専門卒(若干名)はタッチタイピングが出来たが、普通の高卒社員はタッチタイピングが出来なかった。
そこで私は、夜勤のヒマな時にコンピュータルームにあったJCL編集用の古いPC-9801RXでシコシコとプログラムを作り、タッチタイピングが出来ないSO達に使ってもらい、タッチタイピングをマスターしてもらったのだった。
当時はパソコン通信で流通していた「mika-type」なる(タッチタイピング練習ソフトではないが、タッチタイピングでタイプ数が記録される)フリーソフトがあったので、それの向こうを張って「nabe-type」としたが、コレはSO達からも好評だったので、私は独自でパソコン通信(インターネット以前のネット)でフリーソフトとして公開していたものだった。
これは自慢だが、この「nabe-type」で(実はタッチタイピングの速さを競うモードも搭載していたので)当時のSO連中は全員、タッチタイピングを楽しみながら確実にマスターしたものだ。
こういった、「使ってくれる人が笑顔になる」ソフトこそ、私が開発して売るべきモノだったのかも知れない

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