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スクラップアンドビルド~壊してさらに強くなる~

主観輝く社会(https://note.mu/dakutomedhi/n/n6f95fc3187fa)をテーマに始まった読書会。初回の『こころ』、二回目の『堕落論』に続いて、第3回が先日行われた。

テーマ本は羽田圭介作の『スクラップアンドビルド』。2015年に芥川賞を受賞した作品である。本のなかで、主人公の健太は務めていた会社を辞め、実家で勉強、筋トレ、そして祖父の介護をするなかで転職を目指す。彼が転職するまでのしばらくの日々を描いた物語だ。スコープは祖父の介護という問題にあてられている。毎日「死にたい」と嘆きながらも、それは皆を自分に引き付けるための道具であり、本当は食欲や性欲といった現世欲を多大に持っている祖父の姿の描き方は非常に皮肉めいていて、またリアルであった。

さて、僕ら読書会のメンバーがこの作品から抜き出した議題は、「変わる」とはどういうことかであった。この作品には二つの変化があったように考えられる。一つは主人公がしたような、筋トレ、転職と言った能動的で、自己改革の意味合いを持つ「変わる」。もう一つが、祖父のような年をとっていくという受動的な老いと言う意味を持つ「変わる」である。今後の人生において、どちらの「変わる」も僕らは付き合わなくではならないだろう。

この物語において、主人公は常に能動的な「変わる」をしようとしている。勉強、筋トレ、転職活動、それは自ら何かをして、何かを得ようとしている。彼は終始、壊れては作り、壊れては作りを繰り返す。転職活動でのなかなか出ない内定、なかなか進まない勉強、筋肉細胞を壊す筋トレ。そして祖父の介護。祖父の介護に関しても、死ぬことを期待しては又裏切られ、期待しては又裏切られの繰り返し。この祖父の介護から彼は、『どちらに振り切ることもできない辛い状況のなかでも耐えるしかない』ことを学んでいる。

これらから、導き出されたことは、「変わる」とは「耐える」ことなのではないか。もっと言えば。「変わる」とは壊して、また作り上げる「スクラップアンドビルドを繰り返しながら、スクラップのときにめげずにまた、ビルドすることではないか。」。壊れることは一時的な後退かもしれないが、それからまた作り上げれば、それ以上の強いものができる。それは結果として自分に「変わる」をもたらすのである。その耐えることを主人公に教えたのは、祖父の介護であろう。

次に、祖父の年と言った受動的な「変わる」ということである。これは、肉体的な老い、そして経験や積みあげといったものに固執してしまい、結果的にそれは時代の変化や環境について行けず、それが精神的な老いとなってしまうことであると捉えた。しかし、この受動的な「変わる」というのは、ある程度能動的な「変わる」ということで相殺できるのではないか。受動的な「変わる」をしていても、祖父のように煙たがられることなく、社会において活躍している人もいる。そして、僕らは誰しもがこの受動的な「変わる」を経験しなければならない。僕らはそこで受動的な「変わる」というものを受け止め、その中でもまた能動的なスクラップアンドビルドによる「変わる」をするしかないのではないか。結局のところ、人生において僕らは能動的な「変わる」というものをし続けていくことが重要になってくるのではないかということになった。

僕らは能動的な「変わる」を行いながら、つねに受動的な「変わる」のなかで生きている。そこで、能動的な「変わる」をとどめてしまえば、たちまちマイナス要素の大きな受動的な「変わる」が強くなってしまうように思える。だからこそ、僕らは生きている限りは常に壊しては作りというスクラップアンドビルドに耐えるしかないのではないか。これは裏を返せば、敗れても、壊れても、それを踏まえてまた作り上げれば、僕らは強くなれるということである。

スクラップアンドビルドは、常に変わり続けることの重要性を僕らに教えたのであった。

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