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知的好奇心と知的謙遜という文化

大学で私的な勉強会を開催した。

内容は、僕がプレゼンテーションをしてそのプレゼンテーションのあとに、そのプレゼンテーションにまつわることを議論していくといういたってシンプルなものである。参加人数は8名であった。

プレゼンテーション、それに対する質問、その後の議論で学ぶことは多かったがそれよりも学んだ精神性みたいなものがあった。

勉強会終了後、誰からともなく終わってから間もなく自分の気になった発言をした人やプレゼンテーションをした僕に駆け寄り個別に質問したり、議論を再び始めたりする。外に出ても、メンバー間で議論している姿がみられる。

これを、少し離れた目で見てふと思った。これって忘れそうで重要な文化、精神性だよな。私たちは、小さいころから勉強ができる、テストで良い点を取るといったことがいいことだと思っている。それは、もちろん大事だ。ただ、もう一つ大事なものがある。

それは、自分の興味に正直であり、それを研究しようとする知的好奇心であり、わからないことをわからないといって即座に調べたり、聞きに言ったりする知的謙遜であると思う。これは、テストでの点数の取り方や公式のように教えられるものではないので難しい。

特に大学以降の学びでは、誰も問題を出してくれない、それを自分で探すしかないなかで「これを知りたい」、「これがどうなっている」という知的好奇心や「わからないから調べてみよう」、「考察してみよう」、「人に聞いてみよう」という知的謙遜は問題を解く能力を発揮する前段階として、重要になってくる。そして、それがなければ、問題を解く能力も発揮できない。

もっと興味に正直に、わからないことも大切に。方法論として、教えられるものではない精神性や文化を感じたのであった。今の教育でそれを育む仕組みはあるのだろうか。


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