中国語を学んで一年で得た収穫


中国語を学び始めて1年

中国語を学び始めて1年間になる。今のレベルとしては、大学生の第二外国語で身に付ける中国語という感じ、簡単な日常会話ができる程度でまだまだ勉強が必要だ。趣味の一環として始めた中国語であるが、中国語を学んだこの1年を振り返ると、趣味の域を超えた収穫があった。この文章では、その収穫をお知らせしたい。

収穫は大きく2つ、「人間関係」「視点の変化」である。

人間関係

中国語を媒介に、さらに中国に興味をもったことがきっかけとなって新たな人間関係ができた。先日のエッセイで書いた小エンはもちろん、その小エンの友達、国際交流のイベントへの参加を通じて知り合った留学生、中国留学から帰ってきた人など。中国語そのものよりも、中国語がきっかけとなって知り合った人々だ(ほとんどの人が日本語が堪能で、彼らと話すときに僕の中国語の出番はない)。彼らとは、中国の話のみならず、専門分野の話や、悩み、趣味など様々なことを話すことができる。それは、僕の人間関係におけるあらたな多様性と成長をもたらした。

例えば、僕は中国語の市民教室に通っているが、そこではクラスメイトが10代、30代、そして70代に近い人までいて、職業もばらばらである。それらの人々の好奇心、経験、知識などに触れていると、普段主に同じ20代の学生としか話していないので、新鮮な感じと新たな学びを得ることができるのだ。(この前、学生紛争中の大学のことを聞いたりした。)

他の例もあげると、語学、ボランティアなどを一枚解すと、女性と話すのが億劫で仕方なかった僕も同性と話すように話していることに気が付く。そしてその女性たちと友人関係になると、とても楽しい人が多いし、学びも多いことに気が付いた。女性を変に意識して、0か100かのどちらかの関係しかないと考えていた今までの僕が馬鹿馬鹿しく思えてきた。素敵な人、尊敬ができる人、学ぶことができる人とは性別関係なく友達になるべきだ。やっとたどり着いた考え。その考えは、徐々に語学や交流などを介さなくてもできるようになってきていて、今では女性と話すことも、友達になることも億劫ではないし、純粋に楽しい。恋愛はまた別次元で、もし友達になった人を異性として好きになったら、恋人にしたいと思ったのなら、その時に考えればいいと思う。また、友達になれない人は恋人にもなれないという考えまで、生まれてくるようになった。僕は健全になったと思う。

他にも、今まで大陸の友達がいなかったが、交流イベントなどで短期留学生と繋がることによって大陸の友達ができた。これも、よかった。

こんな感じで僕は中国語を始めたことで、人間関係における多様性を手に入れたのであった。

視点の変化

視点の変化とは、平たく言えば外国の方に対する見方が変わったということである。

正直、中国語を学ぶ前僕は、中国人は声がでかいというステレオタイプがあった。しかし、中国語を学び、実際にしゃべる機会が与えられると、僕は自分が自然と声が大きくなっていることに気が付いた。声調、母音、子音などの使い分けが複雑な中国語はそれを表現するために、必然的に大きく声を出すようになるという仮説を僕は立てた。相手に声を届けようという気持ちは日本人と同様なのであると考えるのだ。

さらに、日本語を話せる中国人とお話しているときに少し声が小さいと、「ああ!」と大きな声で言うので、彼らは声が小さいことに対して敏感だということを思っていた。しかし、これもはずれ。聞こえないとき、「ああ!」というのは、日本人が「え?」と言って、聞こえてないことを表現することと同じなのだ。

他にも彼らも僕と同じくらい、僕以上に他人の顔色を気にする中国人もいる。少しの表情に敏感になって「不好意思」(ごめんね)と言ってくる人もいるのである。

こんな、彼らとの差異であると思っていたことが共通点に見えてきた。そして、その差異の原因は知らないことがわかった。知ることによって、差異は共通点に変化するのである。だから、これからも勉強し続けようと思う。これは、中国語のみならず当てはめられることでもあると思う。

おわりに

僕がこの1年で中国語をきっかけに得た、「人間関係」と「視点の変化」という収穫は上の通り大変大きいものである。中国語や趣味の枠組みを超えて、自分の人生全体に影響を与えるものであった。今後の課題はこれに磨きをかけられるか、そして新たななにかが見つけられるか。そのために、今後も座学そして、時には行動や活動を通じて中国語を趣味として楽しみたいと思う。

僕は本当に良い趣味を見つけた。

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