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今更ながら「ショーシャンクの空に」

映画、『ショーシャンクの空に』を観た。90年代に大変流行した映画だそうだが、今まで恥ずかしながら知らなかった。映画が好きな友人に教えてもらった。

あらすじを言うと、主人公のアンドリューは無実なのにもかかわらず、妻とその浮気相手を殺した罪を着せられてショーシャンク刑務所に入れられる。

ショーシャンク刑務所の実体は、神を信じろと言い、受刑者に聖書を読ませらながら、暴力、彼らを殺すこともいとわない刑務官や所長、それに抵抗しようと受刑者同士で生まれる連帯。また、受刑者どうしの諍い。いったいなにが正義かわからない混沌とした世界だ。しかし、受刑者たちは刑務所生活が長くなっていくうちにその生活に慣れ、そこが世界のすべてのようになってしまう。なぜならば、そこから抜け出すことが怖くなっているからだ。混沌とした世界でも慣れれば楽になってしまう。

しかし、アンドリューは違った。20年以上もの受刑生活の間、その場を脱する希望を失わなかったのである。「希望(hope)はすばらしい。」彼はそう語る。そしてその希望を叶えるためには、「必死に生きる(get busy living)しかない。」と言い切る。それがならなければ、後は「必死に死ぬ(get busy dying)」しかないとも言う。結局のところ、彼が刑務所のなかでとった行動は一貫して持ち合わせているものをすべて生かし、「必死に生きる(get busy living)」ことによって自らの未来を作り上げ、希望(hope)をかなえようとすることであった。この映画はそのアンドリューの「必死に生きる(get busy living)」一旦を描いたものになっている。素直に良い映画である。

アンドリューの親友であった、レッドが最後にアンドリューにあてたセリフ。「必死に生きるか(get busy living)、必死に死ぬか(get busy dying)。俺は必死に生きるよ。」。映画を見た後の私もそのような思いをいだいていた。

そして、最近のなにか歯車がかみ合っているようでかみ合っていない自分を省みた。自分が何かをすることによって、果たして何かが変わるのか。自分がどこに行ったらよいのかわからない。いったい自分は何のために何をやっているのか。その鬱屈とした思いを描く自分は実際はそうではないけれど、高い塀の内側にいるような気分。刑務所のなかだ。このままでは、次第にそれに慣れて行ってしまうのではなかろうか。今はそれでも何かはできているけれど、結局何も変わらないのなら、このままこの状況を受け入れ、自らが何も影響力をもたないと決め込んで、快適に暮らす方法を考えた方がよいのではないか。退屈にのんびり、それなりの暮らしをしたほうがよいのかもしれない。

しかし、この映画をみてそういう自分の思いを今一度見つめ直してみると、自分はまだ来ぬ未来を予想して、それを憂いていただけであった。現状という塀の中に、その混沌に慣れようとしてしまったのだ。しかし、それで本当に良いのか。その答えは、この映画でアンドリューが示したことは自分の未来は現在の自分であるという姿だ。結局のところ先のわからない私は、まだ来ぬ未来に少しでも希望(hope)を抱きながらそれをかなえるために、今を必死に生きる(get busy living)しかないのである。

できない自分、不安な自分、役に立たない自分。現在の自分はできる自分、何事にも恐れない自分、役に立つ自分を内包している。今という時間を、希望(hope)のために必死に生きる(get busy living)限りは。

自らの価値観、人生への見方を変えてくれるような良い映画をみたのであった。紹介してくれた、友人に感謝したい。そして、映画同様、この言葉をお礼の言葉として送りたい。

「必死に生きるか(get busy living),必死に死ぬか(get busy dying)。僕は、必死に生きる(get busy living)。」




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