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心のなかの敏腕編集長


この情報社会のなかで、様々なアイデアを様々な人々が出すことができるようになりました。結果的に僕らは日本の片田舎にいても、東京にいても、ネット環境さへあれば、与えられている情報のリソースはほとんど同じ。そして、アウトプットの機会もネットに限定すればほとんど同じです。

そんな中、最近感じるのは、その環境が与えられているのにもかかわらず、アウトプットにしり込みしてしまう自分の姿です。自分の日々の生活から感じる思い、そしてアイデアなど、吐き出すことのできる環境があるのになぜかそれをやらないのです。

それは、心の中で校閲してしまうからです。心の中に原稿をボツにしてしまう敏腕編集長がいるのです。他人の思いやアイデアと僕のとを比べ、「このようなものは何の役にも経たない。世の中を観ろ、これだけ素晴らしく、有益なことを発信している人がいるんだぞ。」そんなことを心のなかの敏腕編集長は言います。そして、「こんなの陳腐なアイデアだ。誰でも思いつくよ。ボツだボツ。」彼は念を押すのです。当初の原稿は、ボツになり、結局のところ僕がするのは他人の素晴らしいアイデアを拡散することや、称賛をすることになるのです。

書くことは好きです。書くことで救われてきた自分でもあります。しかし、このところ、それよりもどこか心のなかの敏腕編集長が求めるような画期的な独創性や、個性、斬新さを伴わなければならないという義務感が強くなりました。

そして、結局沈黙。

これは当初よりも悪い方向です。沈黙は、そとにでるものは何もないのですから。かといって書くだけで良いのか。インプットとアウトプットのバランス。多作が良いのかどうか。アカデミックを追及すべきか。何が良いのか、模索中です。とりあえず、僕は心の中の敏腕編集長を更迭するところから始めなくてはならないかもしれません。

以上近況報告でした。

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