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小エンと僕~1年ぶりの再会編~

【関連シリーズ】

小エンと僕Ⅰ

小エンと僕Ⅱ

小エンと僕Ⅲ

JR上野駅、不忍口。僕は一年ぶりに会うある人を待っていた。小エンである。彼は、まだ時間は集合時間を過ぎていないのにもかかわらず駆け足で改札出てすぐの階段を下りてきた。そして、僕を発見すると真っ先に駆け寄ってきて、握手を求めた。僕もそれに応じた。もし彼からしなかったのなら、僕がして、彼が応じていたことだろう。

僕たちは寧夏での別れの時依頼、1年ぶりに握手を交わした。握手の感触は1年前と同じであったことは、彼の手に触れる身体から感覚的に理解できた。そして、小エンは「おひさしぶり、お久しぶり」と二回言った。僕もそれに呼応するように、「お久しぶり」と言った。そして、僕らは、「お久しぶり」の余韻にしばらくひたった。

駅の構内で今にも話を始めたいところだったが、人がいないところでゆっくりと話すほうが良いと考えたため、少しの時間をこらえて僕らは場所を居酒屋の個室に移した。

小エンに会ってからの人生、僕は劇的に変わった。お互いが「もう一人の僕」と呼べるほどの、似た趣味、思考、悩みを持つ僕ら。そんなもう一人の僕が、違う国であれど同じように悩み、そして思考し、努力するのを見て、感じ取り、僕の心のなかには、個人を超越した強いものが生まれるようになった。それは、心強かった。何をしても、失敗をしても、僕だけではないと思え、そして実際に励まし合うことができた。(これには、メッセージアプリという文明の利器のおかげもあるだろう)。だから心の奥になにか強いものを持った僕は、自意識の揺れに目を向け臆病になる時間が減り、それが大学院の勉強、語学の勉強、新しい友達をつくること、ボランティアに参加する数が増えたという外に思考を向けるようになった。そのなかから幾分か、結果も現れた。外の世界は想像していたより楽しかった。そして、人に攻撃的な目を向ける必要がなかった。なぜならば、自分には自意識にはない、たやすくは壊れないものを持っているのだから。

そんな小エンとの再会はもちろん特別だった。彼は今、日本で映像の勉強をするために、横浜の日本語学校に通い、来年には修士課程への進学をする予定であるという。僕がたまたま別の用事で東京に行くことになったこと、小エンが横浜に住んでいるというタイミングの良さで僕らは一年ぶりの再会を果たすことができたのだ。

居酒屋に入ると、個室の部屋に小エンは、「ワーすごい。初めてだ。」と話声をあげた。僕は昨年、この自らの感情を殺さない小エンの姿にいたく感動を受けたことを思い出した。小エンは、僕はわからないから、注文は僕に任せると言った。平場の僕だったら、相手の目を気にして、プレッシャーに怖気づいていただろう。しかし、僕が注文したものに対する小エンの態度はきっと何であれ、おいしく、喜んで食べてくれることだろう。そう感じた。だから、自信をもってタッチパネルを操作した。

レスポンスの早い居酒屋で、お通し、飲み物、頼んだ6品くらいのうち3品くらいの料理が来た。小エンは来たものを見てここでも感情を殺すことなく嬉しそうに、写真をとった。僕の自信は間違っていなかった。そして、「お母さんに送る」と言った。そうだ。あのやさしいお母さんだ。彼のお母さんのことも思い出した。普段の僕は、「お母さん」という言葉を使うことが、もっと言えば家族の名前をだすことが、友人の間でははばかられている。少し恥ずかしいのだ。しかし、小エンとの間では、お母さんが素敵であるということを遠慮なく話すことができるのである。彼との空間が心地よい理由のひとつでもある。

そして、いよいよ乾杯。やはり僕らの掛け声は「ハッピーニューイヤー」である。それは寧夏にいた時から変わらない。なぜ「ハッピーニューイヤー」なのかはわからない。でも、理由はわからなくてもいい。これがいいのだ。

乾杯が終わると、どこからともなく、僕の受ける大学院の話、彼の受ける大学院の話、日本語学校の話、日本での生活の話、政治、文化(彼は今尺八に興味を持っているそうだ。)、人間関係、親子関係、恋愛、あらゆるジャンルの話を次々にお互いが順番でお題を交代するようにおこなった。話はつきない。そして二人ともよく笑った。さらに、1年ぶりの再会なのにもかかわらず、僕のスマホが割れていたことととか、皮膚が日焼けでむけていたこと、小エンがコーヒーショップでアルバイトをしたことととか、よく覚えていた。その友情は、会話でも記憶でも証明されたのだった。

そんな彼の話のなかでも印象的だったのが、彼の日本で自立するというなみなみならぬ思いだ。

「僕の家は僕を日本に行かせるために、家をひとつ売った、だから、この留学を成功させなくてはならない。ただ、プレッシャーは大きい。」

そう語った彼。もう一人の自分ではあるけれども、それは僕にはない厳しさというか、学問に対して並々ならぬ精神性である。そして、上の学位を試みながらも、親から早く独立したいという思いある種矛盾した思い、悩みは僕一人が抱えていたことではないとわかった。

僕と小エンは店のトイレに行ってもそこで長く話したし、食事や飲むことを忘れてとにかく話すことをした。話はとにかく尽きなかった。そして、楽しかった。10年ぶりに会う旧友と同じくらい、新鮮な話題が次々と出てきた。

時間はあっという間に過ぎた。彼も僕も時間が限られているから、たった5時間しか時間が用意されていない。そして、次いつ会えるのかもわからない。そんな再会のうれしさと、別れのさみしさ入り混じるなか、居酒屋から上野駅まで向かう帰り道、僕は小エンとまだ時間が足りないとばかりに、居酒屋で話していた話の続きをしながらも、僕の心のなかにふと新しい思いが芽生えた。

これからはもう一人の自分ではなく、一歩進んだ、彼のもうひとりの自分としてふさわしい人であろう。もう一人の自分として、個人を超越したものとして彼のなかに強くあるけれど、どこか違ったところもあって、模範にもなるような存在になるのだ。僕はそう決めた。そのために必要なものは努力である。だから、これからも濃密になるように、意識的に選択しながら生きていこう。

ボランティアに参加する前の早朝、この文章を書き上げた。さあ、ボランティアに行ってくる。明日からは勉強だ。ありがとう小エン。また会おう。

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