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世の中のなぞり書きとそれに感じるとてつもないつまらなさ

社会はこういうものだ。社会はそんなに、甘くはない。実際に会社に入ってみたら○○はできない。文系は就職オワコンだ。

社会=○○、会社=○○、実際=○○、文系=○○。それらのなかには、正しいものもあるのかもしれない。しかし、これを聞いた時に、話者に対して思うのは、「結局君は世の中にある、常識や正論をなぞり書きしているだけじゃん。」ということ。「それで?」と思ってしまうのだ。正論や常識のかたちは確かにきれいで洗練されているかもしれないが未来を感じない。いや、それをどう変えていくのか、またそれがよかったらどう守っていくのかという今に対する解決策すら感じられない。

彼らが行っているのは、ただ他人が書いたものをなぞり書きしているだけ。世の中をなぞり書きしているだけだ。それは、とても簡単だと思う。なぜならば、考えなくても良いからである。真実かどうかもわからないステレオタイプ的言論をなぞり書きして優越に浸れば良い。言った本人は、なにも解決しなくても、未来を描かなくても良いのである。

今はどうで、これからはどうなるのか。今はどうだから、自分は何をしているのか。今を自分はどう捉え、これからをどう行動していくのか。あくまで、正論や常識は未来や自分の考えを前提条件だと思うのだ。それをもって何が生まれるわけでも、何ができるわけでもない。ただ、迷いながら生きている人や正論や常識から漏れた人に対して自身のない人が一時的にマウントをとる道具としてはいいのかもしれない。しかし、それがいつまでできるかはわからない。その人は考えていないのだから。彼らはなぞるものがなくなった時どうするのだろう?

正論や常識といった世の中のなぞり書きは形ができているものだから、綺麗で正しい。しかし、そこには未来も今もない。だから、つまらない。僕はあくまでこの正論や常識を前提条件や逆張りの道具として利用したいものである。そして、いつか僕の作った字を彼らをなぞらせたいものである。それだと、僕も彼らと同じ次元になってしまうので、なぞれない人間になりたいと言っておこう。


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