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ブラックとカフェラテ【最終回】

ブラックとカフェラテ⑭のつづき 

 あれからもう一年がたった。再び訪れた、12月。去年と違い今年は寒い。世間は忘年会シーズンだ。私は図書館へ足を赴ける。本当なら、卒業を控えるこの時期、取得単位が足りず、卒業論文も提出していないため、大学にはあと一年通うことが決まっている。体重は3キロ増え、少しふっくらとした見た目になった。
 あの飲み会から私はとうとう生きる屍のようになった。年末は実家にも帰省せず、何日もほとんど家からでない生活。ほとんどの時間を寝ることに費やしいてもまだねむたい。
 年があけてから図書館にも、カフェにも、セミナーにすらいっていなかった。飲み会での途中退席と、セミナーの無断欠席が続いたことを心配してくれた後藤教授(他にも連絡をとってくれた、山本や片山、太田などの友人もいたが、いずれにもその時は返信をする気力がなかった)が学校を通して親に連絡してくれ、とうとう両親が家に来ることとなった。散らかり放題の部屋で、髭を無造作に生やし、目にまったく力がない私を見かねた両親は、実家に連れ戻した。私はそれに抵抗する体力も気力もなかった。そして、私は実家からほど近い診療内科に通いながら、実家で養生をすることになった。医者や両親に幾度となくこうなった原因を聞かれても金野とのことが原因だと話すことはしなかった。というより、できなかった。結局私は自分がこうなった原因を、「正体のわからない、ぼんやりとした不安」ということとした。これは、よくある原因だし、こういえばそれ以上は何も聞かれることはなかったからだ。医者は私を鬱病と診断した。病気が告げられた瞬間、病気とは逆に安心感を覚えた。
 養生の途中、何度も金野のことを、あの逃げ出す前の現実を思い出した。そして、夜中ひとりでずっと泣いていたこともあった。春になって日が長くなったこともあり、薬やカウンセリングも効いてきたのか少しずつ気力が戻ってきた。先生に言われた療法のひとつである悩み事を紙に書きだす手順で、金野とのことも、毎日紙に書いて客観的に振り返ってみると、少しずつ和らいでいって、考えたり、現実を思い出して泣いたりすることもなくなってきた。太田や山本などのセミナーのメンバーからは私を心配するメッセージ、そして後藤教授からは電話があった。後藤教授はお見舞い替わりと私に本を送ってくれたりした。それも私の立ち直りを助けた。
 しかし、その間金野直子からはメッセージも電話もなかった。私はその事実を見つめたときにとうとう悟ることができた。また、散歩や軽い読書を再開して、少し頭が回り始めると、私が彼女に恋をしたのはたった一か月少し程度だというその期間の短さに目を向けられるようになった。恋した女性に1か月の期間をかけて、トライしてみて、かなわなかった。いたって普通の恋である。しかし、なぜだか、私は大きく悩み、苦しみ、そして喜んだ。また大学生活を思い出した時にこの短い期間の思い出が一番になるだろうと思う。客観的に期間の短さを捉えられているのに、主観的はその大きさを感じている。なんだか不思議である。

 また、私はその思い出を戒めの意味も込めて文章と言うかたちで残しておこうと、養生していた7月くらいから書いては休み書いては休み、を繰り返し12月の今頃になってやっとすべてを書き上げた。
 この文章を書き上げる終盤には、ぼちぼちと大学生活も再開する気になり、大学に復帰しはじめた。今は、一年前に途絶えたあの一人の世界を再構築しようとしている。さらに、身体を戻し、あわよくば強くする、そして強い精神を作るためにトレーニングジムにも通い始めた。いくら若くても1年のほとんど家にいたことは大きく、15分も軽い運動をすればすぐに肩で息をするようになる。ベンチプレスは、シャフト(20㎏)すら上げることができない。しかし、耐えられる時間やできる腕立ての回数が少し増していることがあると嬉しく感じる。そして、一人の世界だけだったあの頃とは違い、逃げ場のようなものもできた。
 あの恋を引きずってはいないけれど、結局あの恋は何なのだっただろうと今でもよく考える。私がブラックコーヒーを飲み、金野がカフェラテを飲む。コーヒーはカフェラテになれるけど、カフェラテをコーヒーにすることはできない。カフェラテになろうとしない自分、努力しないブラックコーヒー。彼女と私の関係性なにかに例えようとしても、このような粗雑な言葉しか紡げない。関係性もそれだけ粗雑だったのだろう。
 金野にはあれから会っていない。今度はあっても何も思わないと思う。といいつつもまたあったら自然と動悸が襲ってくるのかもしれない。今、彼女には恨みもないし、後悔もない。あるのは、感謝だ。あれだけ劇的な、私の大学生活を包含するような物語を私に与えてくれたのは、ちょっと甘くて、ちょっと苦い、そしてコクのあるとらえきれない金野のカフェラテのような複雑性があったからである。次会ったら、笑顔で、「ありがとう。」とお礼を言おうと思う。あと、「本返して。」と笑いながら言えたらいい。カフェラテも御馳走しようか。
 鬱になってからなぜか食べ物や飲み物の嗜好が変わって、ブラックコーヒーが飲めなくなった。その代わりに、カフェラテを飲むようになった。そんな自分がこれからどのような残りの大学生活を送るのか。もちろん金野はいないけれど、楽しみである。しかし、どのようなことがあっても金野直子に出会ったこと、そして金野直子との日々は忘れないし、肯定的なものとしてあり続けるだろう。
 こんなことを偉そうに言いながら、一年養生していた私の言うことを誰が信じるかと思うが、これだけは信じてほしい。

          私は金野直子が大好きであった。

              おわり。

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