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歩みよってもわかってくれない他人の正体

自分が相手に合わせても、相手は振り向いてくれない。他人のためになにかをしても、他人はわかってくれない。こんなことはよくあるのではないか。

これについて、少し見方を変える面白いことを知った。

ある人に紙に定規を用いることなく、紙の下から5㎝の線を引いてくださいというお願いをするとする。次に同じ人に、違う紙に上から線を引き、下から残り5㎝のところで止めてくださいとお願いするとする。この下から引っ張った線と上から引っ張った線と紙の下の空間。恐らく、前者が短くなり、後者が長くなるだろう。なぜならば、下から引っ張った時は自らの5㎝と思う範囲の下限で止め、上から引っ張った時は上限で止めるからである。(そう、心理学用語で言うアンカリングである。)

つまり、僕らは、出発点が違うだけで、同じ5㎝でも違う結果になるのである。これを人間関係に還元して考えてみると歩みよってもわかってくれない他人の見方を変えることができる。二人の人間がお互い歩みよろうとしても、一方の人は上から歩みより、一方の人は下から歩み寄ることで、お互い歩み寄ったのにもかかわらず、隙間が生まれてしまうのである。

上から歩み寄った人も、下から歩み寄った人ももう一押し線を引くことが、わかってくれない他人を振り向かせる方法なのかもしれない。もしかしたら、他人も自分と同様歩みよってくれているかもしれないから。

歩み寄ってもわかってくれない他人の正体。それは、自らは歩み寄ろうとしたないわからずやの他人ではなく、出発点の違いによって生まれたちょっとの隙間なのかなと思うのであった。

【参考文献】


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