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「小エンと僕」 アナザーストーリー「一起走吧」Ⅱ

「価値観が変わって何が悪い」「小エンと僕」「一起走吧Ⅰ」の続き。

朝、中国の学生さんたちが泊まる宿に集合となっていた。今日も引き続き、小エンとなるのだ。彼と交わした堅い約束を守る。僕は少し家を早く出て、近くにあるドラッグストアに寄った。そして、そこで三袋ほど「キットカット・抹茶味」を購入。小エンが言っていたのは、日本の抹茶味のお菓子は中国では万人にうけるということだった。僕は彼の案を採用した。

そして、ドラッグストアの袋を抱えて、僕は集合場所に出向いた。しばらくすると、学生さんたちが一緒に来る。「ニーハオ」そう声をかけると、「おはようございます。」という言葉が返ってきた。朝から学生さんたちは元気そうだった。

さっそく彼らに、先ほど買ったキットカットの抹茶味を配る。「ありがとうございます。」日本語で答えてくれたり、「謝謝」という言葉が返ってきたり、幸先の良い始まりであった。どこかそのお礼は僕と小エン二人に言われているような気がしていた。

バスのなかでの僕は昨日同様ますます小エンになろうとした。これから行く、紙漉き体験の中国語版のページを見て、少し解説をしたり、中国語を隣に座った学生さんたちに教えてもらったりして、その姿はまさに寧夏での小エンそのものであった。学生さんと僕はバスのなかではますます打ち解けることができた。

紙漉き体験では、学生さんたちの写真を多く撮った。彼らは初めての体験に楽しそうだった。写真を撮るこちらまでその楽しさは伝わってきたのであった。

紙漉き体験が終わると昼食、そばやちらし寿司、てんぷらなどの日本料理である。学生さんたちのコップにお茶を注いだり、食材を中国語に翻訳したりして紹介。そして、味はいかがと伺ってみたりと、僕の食事におけるマナーは小エンからうけたホスピタリティであった。

ごはんを食べ終わると、学生さんたちはお土産物屋を見て回る。僕は彼ら彼女らと、どれほどできていたのかはわからないが店員さんを媒介したりする役目を果たした。試食をすすめてみたり、つたない中国語で解説してみたりともうこのころには小エンとしてのふるまいがまるて条件反射のようにできるようになっていた。

その後僕らは、ある有名な神社へと足を運ぶ。鳥居の前で集合写真をとった。その後、参拝する。僕は何気なく、鳥居の前でとどまっていた学生さんたちに「走吧」(行こう)と声をかけた。「一起走吧」(行こう)。ある学生さんから帰ってきた。すると、それに続くようにして「一起走吧」という声がした。

その瞬間、どこかほっこりとした気持ちを覚えるのである。認められたような気がしたのだ。僕も、そして小エンも誰かに影響を与えている。それは自己満足に留まる世界観ではないのだ。間違いなく伝わるということを実感した瞬間だった。僕は小エンとの共同的感覚を今まで以上に感じた。

その後も僕は「一起走吧」の余韻を楽しみながら、学生さんたちをアテンドとは呼べないアテンドをしたのであった。

僕らはその日も晩御飯を共にした。学生さんたちの滞在期間は明日朝までなので最後の夜だ。それもあってか乾杯をした。乾杯の掛け声はもちろん、「ハッピーニューイヤー」。理由はわからない。小エンがそうしていたのである。理由はわからないけれど、「ハッピーニューイヤー」と乾杯を交わすことで仲良くなれるというのは確かであった。だから、そこの理由はわからなくてもいいのだと思う。小エンもきっと海の向こうでしているのだから

中国の小エンと日本の小エン、日本の僕と中国の僕。僕は「中国の僕」になりえているのだろうか。その答えはまだ見つかっていないが、自分が作り出すものだろう。

僕はシャツとズボンの間から腹が見えるほど大きく身体を使って手をふりながら中国に帰る学生さんたちを見送った。

終わり。

【ダクト飯、他作品↓】

・ストーリー

・歌から妄想してみた

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