将来何になりたいの?

「将来何になりたいの?」「将来何になるの?」

大学生活も3年目を迎え、私がよく聞かれる質問だ。この質問をされると、いつも言葉が詰まって曖昧なことしか言えない。

例えば、僕は「自らのアイデアや企画で飯が食えるようになりたい。」とは思っている。しかし、それはなりたいものではないし、あまりにも抽象的すぎる。

作家になりたい、ジャーナリストになりたい、クリエイターになりたい。というのもどこか違う。それは僕にとって方法論であって、何になるとか、なりたいとかいう目的とは違う。

僕が目指しているのは、「思弁と実践の繰り返しにおいて、様々なトライアンドエラーをしながら、昨日よりも今日、今日よりも明日と成長していける人間。」である。別にある特定の職業について何かをしたいというわけではないのである。職業は後付けで、抽象的な自分の目的に向かうための手段に過ぎない。だから質問をする彼らの描いている一つに絞ることや既存の枠組みに当てはめることが難しいのだ。

それゆえ、僕は他人の前で何になりたいかを語ることができない。

わかりやすく言えば、「自分3.0」くらいになりたいかなという話である。しかし、それは彼らが望んでいる答えではない。だから、僕は「なんでしょうね?わからないですね。」なんて曖昧に答えるのだと思う。

もちろん僕は、医者になりたいや教師になりたいなどの明確な目標をもっている人を馬鹿にしているわけではない。

しかし、思うのだ。次なる時代に突入し、今の仕事の50%が消え、生き方が変わると言われているこの社会において何になりたいかを聞くのはあまりにも愚問ではないか。それよりも「どのようなことが好きか?」とか、「どのように考えているか?」とか、「どのような人間になりたいか?」と言ったことを聞く方がその人の展望を見る目的においての質問としては適切ではないか。

将来の夢なんて、人生哲学的で抽象的でいいのではないか。それを高い流動性を保ちながら、いくつものパターンを試しながら、追い求めればいいのだ。

僕は、これから理解されなくても「将来何になりたいの?」と聞かれたら言ってみようと思う。「思弁と実践の繰り返しにおいて、様々なトライアンドエラーをしながら、昨日よりも今日、今日よりも明日と成長していける人間ですかね。」

ふと思い出した。ゆうこすこと菅本裕子さんがあるところで「コンテンツ菅本裕子」と言っていたことを。そして、落合陽一さんが「百姓になれ。」といういっていたことを。

僕は「思弁と実践の繰り返しにおいて、様々なトライアンドエラーをしながら、昨日よりも今日、今日よりも明日と成長していける人間。」を目指しながら生きられるのかもしれない。


学生でお金がなく、本を買うお金、面白い人と会うためのお金が必要です。ぜひ、サポートよろしくお願いします。