太陽の塔1

【短編】太陽の塔~偉大なる者~③

【短編】太陽の塔~偉大なる者~⓶」の続き

3.「身の程」をしらない偉大なる者

 私が神戸に帰るときはバスで大阪駅に一度降り立ちます。歩いてしばらくすると会いたくもない知り合いに会う田舎とは対照的に、一歩歩けば知らない人と肩がぶつかりそうになります。私は大学に入学したころはこれにどうも適応できず、恐怖を感じていましたが、最近はもうすっかり慣れました。なんら思いを抱くことなくバス降り場から神戸行きの電車に乗るために改札口へと向かうのであります。
 「万博記念公園無料」。電子甲板の文字を見た時、神戸行きの電車に乗ろうと改札口までの道のりを急いでいた私の足はとまりました。とりわけその後の予定はなく、時間は昼過ぎ。私は万博記念公園へと行くことを即決していたのであります。
 元来、太陽の塔を一度生で見てみたいと思っていた私ではありましたが、大阪駅から1時間程度かかることと、乗り換えが必要なことなどの理由で結局のところ行かず仕舞いでした。
 思い入れや強い願望のない私はその時なぜか、万博記念公園へと赴き、太陽の塔を見たいという強い衝動に駆られていたのであります。コインロッカーにキャリーバックを預けた私はさっそく、茨木駅へと向かっていました。それから、バスに乗り記念公園へと向かいます。私は万博記念公園のみが存在していると思っていましたが、観覧車があるような施設と万博記念公園が一体化しているということを初めて知りました。バスからまず見える巨大商業施設は、太陽の塔を見たい私にとっては何の興味を抱かせません。バスの外を眺めていると、ちらっと太陽の塔の顔が見えました。目に見える灰色の商業施設に飽き飽きしていた私は大きな喜びを覚えたのであります。ついに来た。私は心の奥では太陽の塔をどこか欲していたのであります。
 そして、また姿は見えなくなりました。そわそわする私。なぜこんなに太陽の塔が見たいのでありましょうか。太陽の塔は私にとってなんら思想的な意味もわからず、そしてそれが建てられた背景すらわからないのであります。わかるのは岡本太郎が建てたことくらいです。しかし、バスの中では太陽の塔が見たくてそわそわとしています。
 ガンバ大阪のユニフォームを着た人々もバスから降りて、いよいよ最寄りのバス停であるエキスポランド前へと着きました。そこからの太陽の塔は木にカモフラージュされ完全には見えないですが、ちらちらとは姿を現すのであります。それがまた私の興奮を煽ります。先ほども申しましたが、この興奮の正体はわかりません。わからないのですが、興奮しているのであります。それは「太陽の塔がなんらかの力によって私を吸い寄せている」という低俗な表現しかできないのであります。
 そして、いよいよ入り口の前にたどり着きました。ここで深呼吸をします。無料の日であったのでチケットを買う必要はありません。そしてゲートをくぐって外に出ると、ついに太陽の塔のお目見えであります。
 それはまるで、一つの絵を見ているようでありました。雲と木々の間に強くそびえたつ太陽の塔。私にはそのような絵のように太陽の塔が見えたのであります。私も含めて静止画の中にいるように感じました。私はまず目の前からじっと眺めます。そして、横に行って眺めます。そして真下からも眺めます。もちろん後ろからも眺めます。
 目の前からの絵のような姿、下からの、横からの、そして後ろからの躍動感。すべてに対して言えることは、「何者でもない。何者にもない。」ということでした。
 外に見える顔は3つあり、背中にまで顔がある。そして、その表情は鋭くなにかをにらみつけている。固定的な観念、何かの束縛。「身の程を知る」ということからこの太陽の塔は生まれたのでありましょうか。決してそうではないと思います。太陽の塔の姿は大そう偉大に見えました。
 そして暖かく私に話しかけたように思えました。「普通じゃなくていい、身の程を知る必要はない。」と。私は心に暖かみが巡ってきて、思わず泣きそうになってしまったのです。そして、厳しく私を叱っているようにも思えました。「君は結局、逃げたいだけじゃないのか。苦労もなければ喜びもないぬるま湯に安住したいだけではないのか。何かを創り出すことはできるのか。」私は太陽の塔にたしかにそう話しかけられたのであります。
 私は最後にもう一度、太陽の塔と向き合いました。そして、堅い約束を交わしました。「もっと私は強く、しなやかに生きる」。太陽の塔はそう約束を交わした私に微笑みました。
 強くそびえたつ、身の程を知らない偉大なる者。その微笑みを目にした私はそう簡単に約束を破ることはできません。

「太陽の塔~偉大なる者~」おわり。



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