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村上龍との出会い⓶

帰宅する電車のなかで、僕は村上龍の「69」を手に取った。そして、おもむろに読み始めた。

「69」は1969年、学生運動が真っ盛りだった頃、当時高校生だった村上龍の実体験をもとに作られた青春小説である。この小説はあとがきで作者が述べているように、とにかく楽しい小説である。哲学的なことを言ってみたり、ロックにはまってみたり、先生に歯向かったり、バリケード封鎖をしたり。この作品にでてくる高校生たちはそれらを恥ずかしげもなく、とてつもないエネルギーをもって楽しんで行っている。高校生たちはあるようでない権威を盾に偉そうにする教師や、それに無批判に従属する生徒は馬鹿であると言わんばかりにとにかくエネルギッシュに楽しく、抗って生きているのである。

そして、笑える。それはでてくる高校生の自由さから生まれてくるユーモアによってだと思う。

僕はこの作品をとにかく夢中になって興奮しながら読んだ。帰宅部で肩身が狭くて、勉強もできなくて、とくに趣味もなくて、只なんとなく既存の常識やルールを受け止めて生きていた僕にとって、この作品に出てくる高校生たちの姿はかっこよく、そして憧れにしか見えなかったのである。

今までほとんど本を読んでこなかった僕は「69」をその日のうちに読み終えたのであった。読み終わったあともしばらく、興奮していたのを覚えている。

その後、一週間のうちに「限りなく透明に近いブルー」、そして「希望の国のエクソダス」といった作品を読み終えたのであった。

「限りなく透明に近いブルー」は、ドラッグとセックスに明け暮れる若者の話。「希望の国のエクソダス」は、社会に不満をもつ少年たちが自らの手によって社会改革をしていく話である。何れの作品も社会に対する、大人に対する、世間に対する強いアンチテーゼが組み込まれていた。

これら春休みの初めになんとなく買った三冊を読み終えて僕のなかにはある決意というか、考えが生まれた。

もっと抗って胸を張って生きよう。今までの自分は既存の枠組みや制度、価値観のなかでうなだれてスネて生きていただけだった。そんな自分を押し殺して、自己否定感にさいなまれながら、つまらない人生を送るのであればば徹底的に既存のものや価値価値観に抵抗して、自分というものを殺さず、確立して、楽しんで生きよう。69に出てくる高校生のように、自由にエネルギッシュに、そして楽しく生きるのである。

楽しんで生きないことは、罪なことだ。村上龍の言葉が当時、僕の推進力となっていた。

こうして、僕の高校生活第二章は始まる。


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