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[地球という母体]

現世に形づくられ実在する者すべて、その者が生きていくために必要な知識。その職責職能は、
既に無から有に変わるとき、完全に決められている。

人間なら人間は、受胎の瞬間に既に入ってしまっている。
 
たとえば、灰皿がどんなにきれいで、どんなに美しく作られていても、それは決して、
湯呑みにはならない。灰皿に お茶をさして飲むわけにもいかない。

最初から、
灰皿は灰皿として遣われるように、湯呑みは湯呑みとして遣われるように作られているのである。

人も、自然界も、すべての者がそうである。空を飛ぶように創られて生きる鳥が生涯、陸地を這い回るわけにはいかない。
海の魚が丘へあがって歩くわけにはいかない。

栴檀は双葉より芳し。 人には、人に訊かなくても、できる人もいれば、ただ単に見れば判る人もいる。

そして、幾ら訊いてみても、どんなに丁寧に教えられてみても、できない人には絶対にできないし、
解らない人は決して解らない。
すべての人の頭が同一に創られてはいない。そこに程度があり、
それぞれに創られ方のちがいがある。

オリンピック選手にしても、プロ野球選手にしても、それを見ている人にとっては、到底、
考えられないような行動、動きをしている。あれは決して、練習し、努力しただけではない。
どんなに努力しても、どんなに頑張ってみても、できない人にはできない。
最初から創られ方が違う。いわゆる天才。
それは、適材適所。職責職能。産まれる以前から
既に決められていた能力。己が生きるための知識である。

すべてのものは、できる前に、創る前に決められている。

野生の草も、木も、すべての物は、いつ芽をつけ、いつ花が咲き、いつ頃に結実するのか。

全部が決められてできているのであって、その時々に適当に…ということも絶対にありえない。

そして人間も、右の方に右の手があって右の格好をしていて、それは、
右の方で動かして遣えるように創られている。
左の手も、腕も、指も、まったくその通りである。
間違っても右の手を左の方へ付けても大丈夫なようには創られていない。
どんなことがあっても、 
右の手は、親指一本にしても左に付けるわけにはいかない。

自然界とは、何の決まりもないように動いているように見えたり思えたり、感じたりしても、 
それを誰が意識する・しないには関係なく、完全に決められ、整然とした流れの中にある。

その自然界の規則、決まりは、人間が造った法律、常識とは全く違う、

何をやれば面白く、楽しく過ごせるのか。

何が原因で、
どの部分がどのように悪いのか。

その人が創られた通りに生きるには、どうしたらよいのか。

今、何が自分に合うことなのか。どうすれば満足できるのか。

私はそうしたことを具体的に話して、本人が納得いくまで会話、説明する時間を第一に考えている。

そして今後は私ばかりでなく、社会で、教育現場で、医療現場で、企業の中で、
そうしたことを私以外の人にもできるように考えている。 

寄らば大樹の影。弱い人は強い人に縋ればいい。解らない人は解る人に素直に聞けばいい。

知るは一時の恥。知らぬは末代の恥。どんなことも、今その人に必要なら丁寧に教えてあげればいい。

解ったフリをする必要もない。強いフリをする必要もない。
できないときは「できません」でいい。

必要以上の知識は常に、己を攻撃し、己にとって最大の敵となる。

たとえば、人間が生きる絶対条件のひとつ。食べるということにしても
食べた物の半分は、その体にとって毒になる(食毒)

最近の人たちは、その食毒を出すことができず、体の中に溜め込んでしまい、 
様々に肉体を汚してしまって病気になっている

同じように知識も、周りと自分を比べてみて、
とくかく、ないものを入れる人が多い

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人は何故、病氣になるのか 人はどうしたら健康になれるのか 人はなぜ太るのか、痩せるのか ここには当店の導引の創始者、村上勝夫の知識を元に…

このような時代に、人間がどの様にしたら、健康に幸せに生きて行くことが出来るのか、明確にこちらのブログで書き記していきます