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「Melody in the pocket/777☆SISTERS」について考察する

この記事は1年前、別の媒体にて掲載した記事になります。
ナナシス6周年を記念し、バックアップより再掲載します。


─────────以下、掲載記事─────────

最初に考察するのは、最新のメモリアルシングル「Melody in the pocket」です。

実は、最初の曲をどれにするかは相当悩んだのですが、結局これにしました。
というのも、この曲は、去る2018年7月に行われた、メモリアルライブ「『Melody in the Pocket』 in 日本武道館」に対するアンサーソングだからです。

ライブ当日もライブビューイングも結局いけず、ブルーレイを待っている身がこの曲を語っても良いのか、この考察記事を始めると決めたときから相当考えました。

ただ、ナナシスは今月19日に五周年を迎えます。どうしてもその前にこの思いをまとめておきたいと思い、最初はこの曲にしました。

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前置きが長くなりますが、先にも述べたとおり、ナナシスは今年、五周年を迎えます。
アプリゲームの5年生存率は、約10%と言われています。年100本以上×5年、5年で1000本出たとしても、生き残るのは100本以下です。

加えて、アイドル業界には、「アイドルマスター」「ラブライブ!」という、大きな先輩が存在します。勝つまで行かずとも、渡り合えなくては生き残れません。

そういった状況の中で、ナナシスは『武道館』という大舞台に立つことができたアイドルのひとつです。その5年の全てに対するアンサーとして、この曲はあるんだろうな、と思います。

つまるところ、この曲の『エモさ』というのは、時間軸の積み重なりが大きいのです。


そのため、まだ紹介をしていない楽曲の話も出るかもしれません。ですが、それを他のナナシス曲にふれるきっかけとしてくれれば幸いです。
また、これから追加されるであろう他楽曲の解説を経ることで、この曲を初めて聞いたときの感動を同じように感じてもらえたら、幸いです。

それらを踏まえた上で、どうかお読みください。
歌詞はこちらから閲覧できます→http://t7s.jp/release/ingame/59.html


##イントロ

ナナシスらしい、ピアノとギターを主軸としたイントロです。

ナナシスはピアノをメインに据えた曲が多く、タイトルバックにもなっている「Star☆Glitter」も、ナンバリング上の最新シングルの「スタートライン」もピアノメインです。

その一方で、メジャーデビューシングルとなった「僕らは青空になる」移行、積極的にギターサウンドも取り入れています。

この曲はその両方を両立させています。このあたりからも、これまでやってきたことの積み重ね、という面が伺えます。

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ちなみに、アプリゲーム内のMVでは、この部分で、これまでの777☆SISTERS名義のシングル、アルバムのジャケットがフラッシュバックのように流れます。

また、走るようなバスドラムのリズムも特徴的です。まるで走っている足音のようにも聞こえるのは、おそらくナナシスの総監督をされている茂木監督は、インタビューで「演者を走らせるのが好き」というようなことを仰っていたことも関係あるのではないでしょうか。

最初がロングトーン(全音符)から始まり、徐々に二分、四分と短くなったあと、Aメロの直前で休符を挟みます。さきほどまでが走っていたとするなら、ここで一度足を止めるような感じでしょうか。

この緩急が、この曲を否応なく盛り上げていきます。

##Aメロ

標識のない道をやってきたんだ

ここは、ナナシスというコンテンツの独白でしょうか。
アプリゲームの運営に、正解はありません。他のコンテンツと同じことをしても、ただ二匹目のドジョウとなるだけです。
かといって奇抜なことをしすぎればユーザから見限られてしまいます。

標識のない道では、どこで止まればいいのか、どこに気をつければいいかもわかりません。
そういった状況だった、ということを言っているようにも思います。

また、「標識のない道」は、整備されていないとも取れます。
つまり、これから自分たちが切り開く道、道なき道をやってきた、とも取れるように思えます。

また、彼女たちアイドルのことを指しているようにも思います。
セブンスが解散し二年、アイドル氷河期の中で、もう一度アイドルをやろうとしているナナスタと支配人。彼らの行く道に、標識はありません。

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アイドルってなんだろう、そういった思いをぶつけながら歩いていく道は、標識のある道では到底ないでしょう。

数えきれない涙を拭った顔

当然ですが、悔しいことも悲しいこともあったでしょう。先にも述べましたが、アプリゲーム界は常に生き残りをかけた戦争です。涙をのんだことも、一度や二度ではないはずだということは容易に想像できます。

誰より傍で君を見てきたんだ
歯を食いしばり 歩いた君を

このコンテンツにおいて、誰より傍にいたのは他でもない支配人=ユーザです。
我々には直接、それらを感じ取ることはできなくても、栄枯盛衰、隆盛推移は見てきました。

ナナシスは、常に「ナナシスらしさ」を守ってきたように思います。自分らしくといえばチープですが、他のコンテンツの二番煎じでない、自分たちのやり方を貫いてきました。

個人的には、課金コンテンツが2年なかった、というのがとても思い出深いです。
理由は「コンテンツが受け入れられる様子を見たい」という開発会社の代表の意向だったそうですが、安易に集金に走らず、ユーザとコンテンツの位置関係を調整したことはとても好意的にとらえています。

Aメロの構成はとてもシンプルで、バスドラのストイックなリズムを下地に、ギターのカッティングメロディがうっすら聞こえてきます。ピアノは二分音符メインのロングトーン系です。
激しさはないですが、かといってメロディアスなほど落ち着いていない曲調が、思い返すような歌詞と相まって、思い返すようなシーンを作っているように思います。

##Bメロ

がんばれをくれたね
いつも聞こえたよって
たしかに届いた声 いつも胸にある

がんばってくれ、と願ったのは他でもない支配人たちです。応援の声、といえばわかりやすいでしょうか。それに対し、いつも聞こえたよ、と応えているわけです。

どうしてナナシスがここまでやってこれたのか、答えは単純、支配人たちが「がんばれ」と言ってくれたからに他なりません。
アイドルというコンテンツは、他のコンテンツ以上に、ファンとコンテンツの距離が近いようにも思います。だからこそ、声援の大きさというのは如実に出るのではないかと思っています。

このライブのあとのインタビューにて、茂木監督の元に、真っ直ぐでいてくれと手紙が届いたという話がありました

>茂木:それで言うと、今回もお手紙をすごくたくさんもらったんです。3rdライブの3倍くらいあって、その手紙で真っ直ぐでいてくれとすごく言われました。真っ直ぐになれない自分の代わりに真っ直ぐでいてくれって言葉もあったりして、ちょっと朝からグッと来ちゃって(笑)。このライブのずっと前からポケットの中に届いていたんだなって。
僕らがナナシスに「がんばれ」と思ったのは、きっとこういうことだったのかな、とも思います。

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(インタビューはこちらから→https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1533023667)


Bメロは各節の句切れで、8分音符の連桁が入ります(ダッダーっていうやつです)
ここから多少激しさを増しつつ、サビ前でスネアの連打が入ります。音調的にも落としたマイナー進行で、溜めを作っているようにも思います。
歌詞としてもAメロからサビへ渡す部分ですね。

##サビ

青い透明な願いを
今も届くように歌うよ


ナナシスのイメージカラーは水色です。そして、透明は無垢の象徴とも言われています。
青い透明な願いは、ナナシスの変わらない願いだとも捉えられます。

それ以外にも、ライブのイメージビジュアルにも使われている「青空」。ナナシスは他の楽曲でも事あるごとに空を上げています。
科学の話になりますが、空の青さというのは、太陽光が空気中の分子で乱反射したものを人間の目で捉えたとき、青く見えるという原理だそうです(詳しくはググってください)
なので、理論上空の青に色はない…と捉えると、青い透明が、空の青だと言えなくもないのではないでしょうか。

そして、その願いは「届くように」歌われています。
届いているかどうかは定かではありません。なぜなら、これはナナシスからのメッセージだからです。
音楽というメディアは、受信確認にラグがあります。この曲もまた、歌われた時点では、届いたかどうかは定かではないのです。
だからこそ、届くように歌われています。どうか届きますように、と。

悲しい色や音たちが
羽ばたいてなお

色や音、と表現していますが、「思い出」と言い換えるとしっくりくるように思います。
ただ、思い出にも、景色であったり声であったりと様々な種類があると思えば、「色」や「音」という言い換えは言い得て妙だな、と思います。さすがはSATUKI-UPDATE監督だ。

君がくじけそうになったら
いつもその手を掴むよ

これはまたいずれ書きますが、セブンスシスターズの「Star☆Glitter」との対比であると言えると思います。
どちらにも言えることは、「君」がもうダメだと思うその時に、必ず「僕」がそばにいるよ、ということです。

アイドルの持つ役割…心理的な役割という部分に、支えというものがあると思います。どんなにチープでも、「君のそばにいるよ」という言葉は強力です。まして、先にも述べたように、ファンとコンテンツの距離が近い、アイドルという存在ならなおさらだと思います。

この歌詞で好きなのは、「くじけそうになったら」、「いつも」その手を掴む、というところです。いい言い方が思い浮かばないのですが、「絶対に見捨てない」といえるのかな、と思える部分です。
べたべたと応援するのではなく、挫けそうになったら、という部分が重要だと捉えています。

君と焦がれた
なにもない青空に
届きそうだよ 今にも

なにもない青空、は雲ひとつ無い快晴の空を思い起こさせます。まさに晴天と呼ぶにふさわしい空、そこに今にも届きそうです。
手の届かない青空は、いわゆる「高み」でもあります。このコンテンツにおいては、まさにレジェンドたる「セブンスシスターズ」がそこにふさわしいでしょう。

しかし。「青空」は「なにもない」のです。それは、解散してしまったセブンスが表す「からっぽの玉座」のようにも捉えられます。

また、なにもない青空だからこそ伸ばしてきた手のような気もします。無垢なる正解、とでも表せば良いでしょうか、なにもないからこそたどりつける場所、というのが確かにあるようにも思います。

Bメロでの解説では述べませんでしたが、やはりここもAメロ同様、劇中のアイドルたちのことを歌っているようにも思えます。
青い透明な願いは、二代目支配人の持つ純粋な「アイドルってなんだろう」という思い。支配人にも、挫けそうなとき、やりきれないときくらいあるでしょう。それを一番間近で見てきたのは、彼女たちナナスタシスターズです。

君と焦がれた、なにもない青空の高み。空っぽのセブンスの玉座。なんというか、とても綺麗に意味が繋がりますね…。

メロディとしてはAメロ基準でありながら、4ビートの力強いドラムに乗って、ピアノのメロディが空を飛ぶように聞こえてきます。『なお』の高音に込められた力強さが印象的ですが、それ以上に全体として声の音圧が強いようにも思います。パワフル、と言ってしまえばそれまでですが、その言葉に収まり切らない、エモーショナルとも取れる力がありますね

また、サビ終わりには短いギターのソロが入ります。短く吹く一陣の風のようで、サビの力強さの余韻を残しつつ、次へのステップとしての空白を意図的に作っている感じでしょうか

##二番Aメロ

隠し切れない悔しさもあるんだ
思い出したいことばかりじゃないだろ

一番のAメロと同様ですが、ここまでの道のりでは当然「思い出したいことばかりじゃない」はずです。「数えきれない涙を拭った顔」が視覚的な表現だとしたら、こちらはもっと感情的な表現でしょうか。

思い出したいことばかりじゃない、ということは、思い出してくれば自然と紐付いて出てきてしまうようなことでしょう。思い出のすべてが光り輝くわけではないですが、そうでない思い出もあるからこそ、輝く思い出もあるといえなくもないのではないでしょうか。

それでもここに自分の足できたんだ
誰も知らない君だけの場所

ここ=誰も知らない君だけの場所、でしょう。ではここはどこなのでしょう。
それは一人ひとり違うはずです。なぜなら、道程が違うから。

ここの解釈は様々あると思いますが、個人的には「ナナシス」というコンテンツと出会い、そこから何を得たのか、感じたのか、そして世の中の見方が変わったのかということかなと思います。

また、ナナシスというコンテンツが行き着いた点は一点ですが、それをどう見るかは、受け手の視点によっても変化します。そういった相対的な意味合いも含めての「誰も知らない」「君だけの場所」でしょうか。

ここで重要視したいのは、「自分の足で」来たという点。ライブのキャッチコピーでも同様、「歩いて」きたのです。自分の足で来た=歩いてきた、と言い換えてもおかしくはないと思います。足は歩く、ないしは走るためのものですし。
歩いてきた、に関しては4thCD/8thシングルの「スタートライン」で詳しくしゃべるつもりです。

##Bメロ

ありがとうとさよならを
きっと忘れないって
少しずつ貯めた祈りが
いつか歌になる

出会いと別れは、どんなものにもつきものです。ナナシスというコンテンツもそれは同様でしょう。
いろんな理由で去っていく支配人もまた居るはずです。その一方で、がんばれと言い続ける支配人も。

そういった、いろんな人たちとの「ありがとう」と「さよなら」を、少しずつ積み重ねていき、「歌」になる。これを「祈り」と表現する部分に、感情がとてつもなくこもっているなと思います。
なんというか…この「ありがとう」と「さよなら」は、1番の「がんばれ」と意味合いとしては同じようなものではないかと思うわけです。

そして歌になる。歌、いや、メッセージ、でしょうか。もっと多くの意味を複合しているのではないかと思いますが、いかんせん語彙に欠ける次第です。ここでいう歌というのは、届けるもの、というイメージで捉えています。
人からもらったものを、「きっと忘れない」と、少しずつ貯めた祈りを、歌として返す…返す、というよりは、自然とそうなっていった、という方が正しいような気がします。貯めた祈りを力に、花が咲くような感じ。

##サビ

メロディ 途切れそうになるなら
風を集め 空に歌うよ

このメロディは、Bメロの「歌」でしょうか。誰かからもらった祈りを返すための歌、メロディ。
また、それ以上に「エネルギー」だったり、もっと原動力のようなイメージが込められているようにも思います。生きていくことそのもの、と置き換えても通るのではないでしょうか。

「風を集め」「空に歌」う。どこまでも吹いていく風、そして切れ目のない空。どれほど遠く離れていても、絶対に届けてみせるよ、ということでしょうか。

ナナシスはイメージカラーにもあるように、空をかなりよく使います。でも、自分たちが飛ぼうとはしない。歩みは地続きで、声は空に歌う。この堅実さのようなものが、ナナシスらしさとも言えると思います。

声が枯れてしまうなら
燃え尽きてなお

歌…メロディを奏でられなくなる、燃え尽きるということ。人生で言えば「力及ばず道半ばにして云々」というところでしょうか。
どれほど声援をもらってもなお、高すぎる壁に挑むことは、自分のちからが及ばないということが往々にして存在します。

いつかあと一歩行くときは
きっとその背に触れるよ

ここで重要なのは、「その背」を「押す」のでもなく、「叩く」のでもなく、「触れる」というところ。
あと一歩行くとき、重要なことはなんでしょう。個人的には、一歩目を踏み出すことが尤も難しく、そして重要であり、そしてそれがすべてだと思います。
ここまでの歌詞のつながりを見るに、この状況は、すでにメロディが途切れそうになり、声が枯れ、燃え尽き、それでも『なお』あと一歩行くときだと思います。
そういったときに、ただ背中にふれるというのはどういう意味合いなのでしょう。個人的には、そばにいるよ、という意思表示なのかな、と思います。

一番と同様、自分が最も辛いとき、きついときにそばにいると言ってくれること。見捨てないよ、大丈夫だよ、と言ってくれること。
ナナシスは、「ひとりぼっち僕らの、みんなの物語」だと、茂木監督は言っています。歩むのは自分の足です。だからこそ、背中を押すでもなく、叩くでもなく、そっと触れる。

この部分は2ndCD/4thシングルの「僕らは青空になる」の歌詞ですので、該当曲でまたじっくり考察しましょう。

涙で濡れた
君のそのポケットに
届きそうだよ 今にも

曲タイトルでもある「Melody in the pocket」。この「ポケット」に関する解釈に関しては、茂木監督がインタビューで触れています。
それを読んだ上で思うのは、ポケット=心、なのかな、ということです。言い換えてしまうとチープになってしまう辺りに、茂木監督のセンスが見えて脱帽しきりです。

もっと踏み込んだ解釈をしていくと、「自分が知らない間にしまっている、ほんとうの自分を入れている場所」かな、と思います。押し殺した自分の行き先、というか。
飲み込んだ本音や言えなかった謝罪、そういったものを知らず知らずしまっているのが、茂木監督がいう「ポケット」なのかな、と思っています。

「涙でぬれた君のそのポケットに」「届きそう」というのは、君の本当の気持ちがある場所まで、この歌を届けたいよ、ということでしょうか。

##Cメロ
あの場所に立つ君の隣に
古ぼけた僕はいないけど

「あの場所」は、二番で出た「誰も知らない自分だけの場所」でしょうか。
個人的には、そこから更に先…自分が描いた未来とでも言うべき場所かな、と捉えています。

その場所に、「古ぼけた僕」は「いない」。この曲と出会ったときの「君」はすでにいない、ということでしょう。時間軸で言えば当然ですが、この場合はもっと、思い出として風化したような意味で「古ぼけた」という表現を使っているような気がします。
あんなこともあったなー、と思い出すための曲、というか。

抱きしめてたい 忘れたくない
僕らがつけたこの歌の名を

思い出となり、風化してしまってなお、歌の名前を忘れたくない。
「この歌」が、この歌…つまり、Melody in the pocketなのかは解釈が分かれそうですが、個人的には「イコール Melody in the pocket」だと思います。
理由に関しては、やっぱり歌のタイトルがライブのタイトルと同じだから、というのが一番の理由でしょうか。ライブはお客さんと演者が一体となって作るものです。だからこそ、その余韻から生まれたこの曲は「僕ら」がつけたものだと言えるのではないでしょうか。

なお、「歌の名を」は2回繰り返します。やっぱりそうなると、Melody in the pocketが「この歌」じゃないでしょうか。この歌の名は、メモリアルライブのことを指すからこそ。


短い間奏のあと

君の歌になる

この一節を挟みます。

この「歌」はいろいろな解釈があるのですが、個人的には「順番」という表現を推したいところです。

当てはめると、「君の順番になる」。次は君だよ、というとちょっと意味が通じないのですが、順に説明をしていきます。
この歌は、支配人たちから受け取ったものを、ナナシスが歌い、支配人にアンサーとして返す歌です。
「君の歌(順番)になる」ということは、次は君がこの歌から受け取ったものを、君が歌ってほしい、という意味です。

誰もの人生もまた、標識のない道を歩み、何度も涙をぬぐい、歯を食いしばって歩き、思い出したいことばかりじゃない中、「ここ」、つまり「誰も知らない、君だけの場所」に至るものです。

これまではアンサーとして、ナナシスがこの歌の主役でした。ですが、これから…この一節を歌ってから先、この歌は「君の歌になる」のです。

ライブインタビューにもありましたが、ライブの最後には、「次は君らの番です」という意味を込め、「I did I wish」と書かれたそうです。この「次は君らの番です」という言葉が、「君の歌になる」ということでもあると思います。

##落ちサビ

青い透明な願いが
君に届くように歌うよ

ここは一番と同じように見えますが、ちょっと違っています。
「願い『を』君に届くように歌う」のが1番、そして「願い『が』君に届くように歌う」のがこの部分です。

どう違うのか、というと、前者は実行形、後者は完了形、ということでしょうか。
一番では、願いを歌っている最中です。歌っている願いをこそ、君にどうか届きますようにと言っています。
対して落ちサビでは、歌われた願いが、君に届いてくれるように、と歌っています。願いを届けるべく、さらに歌うというわけです。
強いて言うなら、風を集め空に歌う、という感じでしょうか。すべてが重なっていく時系列のつながり、ほんとうに見事で美しいと想います。

悲しい色や音たちが
瞬きながら

一番では羽ばたく、という表現を使っていました。つまり、そこから飛び去っていくわけです。
こちらでは瞬く、という表現に変わっています。チカチカと明滅するような感じですね。ここから、個人的には過去の記憶のフラッシュバックのようなものかな、と捉えています。

すべては過去のものです、悲しい声も、悲しい顔も。それらが走馬灯のように瞬きながら…というような印象です。また、瞬くというのは、まぶしさも感じられます。
いい意味で「良い思い出だった」と感じられているということでしょうか。


##ラストサビ

君が転びそうになったら
いつもその手を掴むよ

一番と同じような部分ですが、あちらは「挫けそうになった」とき。こちらは「転びそうになった」ときです。もっと直接的な、比喩ではない「きっと助けるよ」という意志が感じ取れます。

ナナシスの歌にはいつも、「あなたが折れそうなとき、私達がきっといる」という意志を感じます。
ひとりぼっち僕らの、みんなの物語だといいますが、『孤独』であっても『孤立』はしていない、というような。
歩くことを直接的に助けることはしない。一緒には歩かない。でも、歩けなくなったときは絶対にひとりにはしない。そんな意志を感じます。この部分も同様。

空に奏でた
ポケットの中のメロディ
聞こえるだろ 君にも

ポケットの中のメロディ…まさに、「Melody in the pokcet」です。
先にも述べた「ポケット」の解釈のままであれば、「ポケットの中のメロディ」とはきっと、「言えなかった本当の気持ち」であったり、「隠していた自分の感情」であったり、ということではないかと思います。

「聞こえるだろ 君にも」という部分から、意図して空に奏でたわけではないのかな、と捉えています。
どちらかというと、この歌を聞いて感じた感情などに向き合えよ、というような意味なのかな、と。

君にも、は三回繰り返されます。そして、三回目は叫ぶように、そして力強く「君にも!」と歌いきります。
ポケットの中の自分、いるはずだろ。そいつが奏でてるメロディ、聞こえるはずだろ。そう言っているようにも感じます。

先にも述べた、「まっすぐでいてくれ」という願い。茂木監督が受け取った願いは、茂木監督が僕らに願うことともしかしたら同じなのかもしれないとも思います。
君にも聞こえるはずだろ、と歌っているからこそ、君もまた、ポケットの中の自分をないがしろにしないでくれよ、というか。


##アウトロ
そして特徴的なのがアウトロ。サブドミナントからドミナントに上昇し、そのまま終わります。
用語的にわからなくても、聞いてみればなんというか、着地せずに終わるような印象を受けると思います。

この終わり方は、やっぱり「この曲は終わらないよ」=「次は君の番だよ」という解釈がベターではないか、と思っています。
飛び立ったという解釈もあるにはあるのですが、歩いてきたと何度もいうナナシスの表現としてそれは適切ではないかな、と思いました。


いかがでしたか?一曲に込められた、魂の熱量ともいうべきメッセージ性。
この「強さ」こそ、ナナシスの楽曲と言っても過言ではないのです。

ほんとうは作詞作曲SATUKI-UPDATEという部分や、ジャケ写の意味なども述べたいのですが、さすがに文量が長大になってきたので、今回はこの辺で。


─────────以上掲載記事より─────────


ナナシス、6周年ほんとうにおめでとうございます。

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