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退学届

何か特別な思いがあって大学を辞めるわけじゃない。いわゆる「別の勉強がしたい」だったり、「働き口が見つかった」だったり。他の誰もがとっくに見据えてるはずの、なりたい自分がようやく見つかったから辞める。誇りも何もあったもんじゃないや。

今から書くことは、自分が何を考えていたかという回想録。
つまるところ辞める口実、見苦しいかもしれないけど、ぜひ最後まで。


ずっと前、小学校や中学校の頃、目標を決めるのが嫌だった。
ひとつの終わりを想定して動くことは、面白くなかった。
今でこそ、そこに漕ぎ着けるまでの工夫や努力を楽しめたり、達成感を味わえたりすることなど、目標に向かって動くことの良さを挙げることはできる。しかし手癖はさらに悪くなり、ついには苦手になった。

どうやって世の中に貢献しようとか、何をして食っていこうとか、曖昧なまま中学・高校生活は流れた。資格を取らないままの就職の選択肢は自分の中になく、偶然開かれていた近所の「某建築家展」が目に付き、軽薄にも建築家になろうと漫然としたまま、難しい方の数学と物理を学んだ。

そして目標としていた場所とは別の大学に合格した。そこからの一年とちょっと、ひたすらぼんやりとしていた。
学びにも熱意が籠らず、単位も片手で数えるほどしか取れなくなった。
喪失感から目をそらし続けるために、部活に行きゲームをした。


転機は去年の夏の帰省、高校の同級生と近況報告をしていたとき。
県外の私大に進み、肌が合わず地元に帰り、バイトの伝手などから働き先が決まった人や、大学に進まず公務員勤務をしている人の話を聞いて、どこか羨ましくなった。一生懸命自分のできることを探す根気強さや、自分のしたいように過ごすストイックさに憧れた。

そのころから、「大学辞めてぇなぁ」が冗談でなくなってきた。自分のやりたいことが一体何なのかを、ふとした時に考えるようになった。
同時に、よく後悔するようになった。
あのとき実業系の高校を選んでおけば...
よく考えて文理選択をしていれば...


「どうやっても後悔なんて着いてくるモンだから、それなら行動して後悔するほうがいいじゃん?俺だって仕事終わって何もしないままだと後悔しそうだから、こうやってキッチンのパートしてる。若いならなおさら動いた方がいいんじゃねえかな」

バイト先の熟年のパートの方からこんな話をお聞きしたのは、帰省明けすぐの遅番だった。うろ覚えだが、定年退職された後にパートを始められたそうだった。どれだけ忙しくともエネルギッシュに働く、その背中に憧れた。その言葉に大きく後押ししてもらった。


そこからいろんなことを試した。真面目に講義にでれるよう努力したり、資格講座の勉強をしたり、人の輪を広げたり...。多くは挫折してしまった。他人にもたくさん迷惑をかけてしまった。会えなくなるまでに謝らなきゃ。
目標の頓挫。過去への後悔。ここに来るまでに障害物となったそれらの原因にも踏み込み、今も戦っている。

そこから決めるまでに半年かかった。揺らいでいたのは、勉強が楽しいかもしれないという半ば未練のような期待と、学校や部活動、バイトの友達との時間をまだまだ過ごしたいという駄々があったから。
それでも、みんながかつて決意した時間を、そのツケを払って前へ進まなきゃいけないと思った。

私は、さして頭のいい人間ではない。
マメでもなければ、特筆するような才能もない。
加えて、勉学において強く未練に思うこともない。
仮に大学教育を修めることができても、その先に繋げることは困難だろう。その結果、私に大学教育はもったいない、というところに落ち着いた。

将来何かに貢献するのはきっと、平凡な私ではない。それは、今大学に通う他の誰かがするものだ。そうやって頑張る誰かを陰から支えられるように、これからは大学とは別の場所で修練をつめるように。言い方を変えればこれも勉強なのかもしれないけれど。


だから辞める。目標は定まった。後悔はせども後ろ髪は引かれないように。
やっと通過儀礼を終えて、これからどれだけ困難が待ち受けていようが、それでもなりたい自分目指して、泥臭く精一杯生きてやる。