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最近、「死」について考える。

こんなこというと「おいおい、大丈夫かよお前!」と引かれそうだが……
突然死にたくなるとか、若者特有の「死」という未知なるものに対する恐怖から沸き起こる憧れにも似た中二的思考とかそういうのでもなく……終活というかなんというか、年々、そういうことを考えないといけない気分……いや、雰囲気にさせられるときがある。

私は、やりたいこと、行きたいところはほとんど全てやってしまったので、今は創作以外やりたいことがなにもない。
だから、突然死んでも「ああしとけばよかった」「こうしておけばよかった」なんて後悔は特にない…………といえば嘘か。
漫画描き切って、アニメーション作りきって死にたい。
だから、今は、創作だけに時間を割きたいし、それ以外のことはなるべくさっさと終わらせたい。
金より時間が大事。時間は命と同じだ。
時間の使い方はそのまま命の使い方である。
いま、このnoteを書いている間も命(時間)を削ってると思ったら、ちょっとだけ書くの嫌になってきた。

そんなわけでまず、ファイルから終活しようと思ったら、何年か前に書いた下記エッセイが出てきた。タイトルは適当につけたので気にしないでほしい。

「孤独死予備軍に捧げるブルーシートセレナーデ」

気づけば即答できない年齢になっていた。若い頃は、自分の実力を過信していたので、やる気になればどうにでもできると思っていた。社会に出てから、如何に自分が凡人で非力で、取るに足らない人間だと思い知った。もともと根性も忍耐もなく、完璧主義には程遠い私が、なぜに世の中を変えれるなどと思ったのか。いつの時代も、若気の至りの妄想(黒歴史)にロクなことはない。
 今の私は、世の中の流れに身を任せ、風の向くまま気の向くままに飛ばされる煤けたビニール袋の如き初老だ。ふわふわと宙を漂っている。死ぬまでに成し遂げたい大望や夢も希望もない。でも、人生を悲観してふて腐っているわけではない。下手の横好きで小説や漫画を描き、気ままに生き、平和に暮らしている喜びに満たされているからそう言えるのだ。戦争ばかりしている不安定な国にいたら、こんな愚痴を垂れてはいられない。それこそ志を高く持ち、平和の為に命をかけたかもだ。
 平穏な日本に住む私が唯一不安に思うのは孤独死である。子供や兄弟姉妹もいない身の上、他所様に迷惑をかけない死に方を考えねばならない。孤独死を扱った本を読み漁った結果、死期を感じたらオムツを着用し、部屋中にはブルーシートを敷き、お風呂の追い炊き機能を使わない等を記憶した。あとは毎日友人とこまめに連絡を取る。
 孤独死の殆どは、「異臭がする」と近隣の苦情から発覚するという。とりわけ、夏場に何週間も放置されたら、大騒ぎになる。なので、「三日間連絡がなかったら死んでると思っといて」と冗談抜きに友人に伝えまくっている。死亡時に、極力他人に迷惑をかけないように逝くことが私の大望だ。


これを書いた後、身内が亡くなり、もっと身近に「死」を感じるようになった。
自分自身はまだ平均寿命年齢に達してないが、家族や友人知人の中には早々と逝ってしまう人たちもいて、自分だっていつ逝ってしまうかわからない。幸い、私の親はまだ生きているが、親からは「お前は一人っ子で独身子なしなんだから、私がおらんくなったら天涯孤独になる。誰も看取ってくれる人はおらん。2回結婚しとるけど、3度目の正直はないとおもてる。それなら、今から一人で逝くことを考えて準備しとかんとあかんよ!」と、何度も言ってくる。
つまり、「死」というより「死後」のことを考えないわけには行かない。
突然の事故死か、死ぬ直前に入院でもしてなければ、エッセイで書いたように、死後、近隣の苦情で発見されるのは確実なので、なんとかせねばなぁ……と、思う。でも、親の想像通り再婚する気はない。死期を感じたら猫のようにどこかへ消えるか。とにかく親族がいない身分で人に迷惑かけないように逝くにはどうすればいいのだろう。
とりあえず、ブルーシートをカーペットがわりにしておむつは履いておくか。

結局、考えてもまとまらないので「まぁ、また明日考えよう」とかいって、明日になっても考えはまとまらず、の繰り返し。
しょうがないので、今日も今日とて創作(現実逃避)する九なのであった。

#創作大賞2023
#エッセイ部門

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