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愛猫、永眠。ー幸せの基準ー

愛猫が永眠いたしました。
里親マッチングサイトで、彼女の瞳に一目惚れ(光の関係で金色にもエメラルドグリーンにもなる)して、お迎えしてからわずか5年でした。悪性リンパ腫が発覚し、いっときは抗がん剤治療で寛解したものの、再発の末、虹の橋をわたりました。
保険が追いつかない高額医療費の連続に、途中で金銭感覚がバグってきて、海外旅行で満喫できるほどの金額がぶっ飛んでも「なんだ、今回はこの程度で済んだか」みたいになってましたが、それでも、この子が少しでも長生きするなら全財産失っても構わない! とパチンコの「サンド」に金を注ぎ込むが如くカードを切ってましたが、結果、虚しく、愛猫は逝ってしまいました。

私はあまり、訃報や不幸な出来事をSNSやそこまで親しくない知人に発表することに抵抗があるタイプなんですが、どうしても彼女のことは言いたくなってしまって、SNSや知人に悲しみをぶちまけてしまいました。
みなさん、優しい言葉をかけてくださりました。
けれど、私はどうしても下記のような言葉を聞くと、複雑な気分になります。

「猫ちゃんはあなたに飼われて幸せだったよ」

もちろん、そうだといいなと思いますし、そう思うことで自分を慰めています。
だけど、どうしてもそれは人間の傲慢としか思えないのです。

猫は、人間のように他者と幸福度を比べたりしないので、毎日ご飯が食べれて雨風凌げて、冬には暖かく、夏には涼しい環境で、優しい飼い主に遊んでもらっている自分や、またそんなよその子を見て、幸せだとか羨ましいだとか感じないだろう。
人が勝手に「この子は幸せだった」と思い込んで、自分自身に暗示をかけて楽になるしかない、と考えてしまうんです。

猫にとっての幸せの基準は、人とは違うだろうし、そもそも「幸せ」の概念があるのだろうか。「死」の概念がないと言われる生物には「今と自分」しかないのだから、「今、自分が飯を食えて寝れれればそれでいい」と。その飯が、旨かろうが不味かろうが、それを比べる尺度も持たないないだろう。

たまに、「うちは*******(高級フード)を食べさせて、ふかふかのベッドで寝かせてるの。あんたのところは****(普通のフード)なん? かわいそう」とか言う人もいるけど、本人(猫)は「自分が可哀想かどうかなんて分かってないわい」と思うんです。だって、一度*******に変えてみたけど、そっちよりいつもの****のほうが美味しそうにたくさん食べてくれたからね。
「ステーキより茶漬けがすきな奴だっているんだよー!」
私(人間)でさえ、幼少期に「九ちゃんは、片親で一人っ子で間の子(ハーフ)で貧乏でかわいそう」とか近所の人によくいわれたけど、自分がかわいそうなんて思ったことは一度もなかった。学校に行って、他者と嫌でも比べられる環境に身を置いて、初めて可哀想と呼ばれる地位にいたことを知り、「私ってかわいそうなの?」と親に聞いたくらいだから、猫なんてもっと分からんやろ!

その子が幸せかどうかなんて、飼い主が他人や別の環境と比べた勝手な自己満でしかないんだよ。
でも、その自己満が自分の心を癒してくれるならそれでいいとは思う。だから、彼女が幸せだったらいいな。本当にそう思う。
だけど、「あなたに飼われて幸せだったよ」と、断言されると、どうしても複雑な気分になってしまうのです。

もう一度抱きしめたい。ぎゅってしたい。お日様の匂いがするもふもふに顔を埋めたい!!!
毎日夢に出てきて抱かせておくれー!!


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