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私小説のようなエッセイのような限りなく実話に近い小説『麻生優作はアメリカで名前を呼ばれたくない』9

 優作は、落ち着かぬ様子で辺を見回していた。
 ヤードセールの客が去り、住宅街にはまったくひと気が無くなっていた。
 あたりはもうすっかり夜――――。

 日本に住んでいた時は、人と人の距離が近く、一日で誰かとすれ違わない日はなかった。夜中でもそこら中に人が歩いていており、コンビニエンスストアが競い合う様に並び、二十四時間明るかった。

 日本でも田舎だと珍しくないだろうが、その場合は隣に家すらなく、人気が無いのは当たり前。しかしここではきちんと一軒家が並んでいるにも関わらず人のいる気配を感じない。夜も、8時を過ぎると、表で歩いている人を見かけることは珍しい。日本と比べて高い犯罪率が関係しているからだろうが、初めの頃は不思議だった。

 立て並ぶ大きな一軒家の窓に目を向けると、きちんと人がいて、家族団らんでテレビを見ている姿が見えるとホッとした。驚いたのはティーンと呼ばれる十代の多感な年頃の娘が、父親にピッタリくっついてソファーに座ってテレビを見ている姿だった。日本ではそう見ないが、アメリカではごく普通のことだった。
 皆、仕事をして帰って来る父親を尊敬しているようだった。
 彼等は会社の為に残業をしないでさっさと家に帰って家族と過ごす。その為の仕事であり、仕事があってこその家族ではない。家族があってこその仕事だと笑顔で答える。
 ファミリーと過ごすことが生きる理由であり、仕事はその為の手段。故に、妻は、旦那が仕事で遅く帰って来るとか、子供や妻の誕生日に休暇をとらないという理由だけで離婚する人もいた。働きまくる日本人代表の優作からしたら、ある意味宇宙人だった。
 日本人は時間で計算すれば一生のうち、会社にいるほうが長い人が多い。午前様まで仕事して、長い年月をかけて、ただ数時間寝るだけの家に高いローンを支払う。

 アメリカに赴任してからは労働基準が厳しく、残業は一度もさせられたことがなかった。しかも、朝は七時から出勤し、一時間のランチ休憩を含む八時間勤務で三時に終わる為、帰宅ラッシュは午後三時がピーク。夕方は家でずっと一人でぼーっとするしかなく、優作は毎日時間を持て余していた。
 同僚のほとんどは家族で赴任していた。
 理由も無く若い独身の後輩を就業後に連れ出すのはパワハラだなんだと言われ、優作はまっすぐ家に帰っていた。

 三時から、就寝の九時までの六時間が暇で暇で、優作は毎日がつまらなくて仕方なかった。
 日本では時間を潰す方法はたくさんあった。しかし、アメリカにはそんな遊び場もなく、娯楽といえば映画館で映画をみるくらいで、その他は家でテレビをみることくらい。しかし、長年住んでいるにも関わらず、英語が苦手な優作にとって、英語の番組は苦痛以外のなにものでもなかった。インターネットで日本のドラマやバラエティを観まくっても時間が余った。日本では寝る時間もなかったというのに。

 一日とはなんと長いものか。

 優作は持て余した時間をどうやって潰すか、そんな事ばかり考えていた。何度も時計を見て、まだ七時か、まだ八時か、と就寝時間の九時になるのを待った。

 優作はアメリカに赴任して以来、睡眠時間を八時間きっちり取っていた。暇過ぎて睡眠時間が十時間を超える日もあった。

「あー、暇だ!」

 優作はいつしかそれが口癖になっていた。
 他に趣味もなく、仕事が趣味だった人間は、仕事を失うととこんなにも暇なのか。

 家でテレビばっかみてるより残業してるほうがよっぽど充実感があった。隣の家族は楽しそうだ。子供たちも妻も皆父親を慕い、尊敬し、輪の中心にはいつも父親がいる。子供達は絵画のキリストの周りを飛ぶ天使のように父親に甘えている。 

 カオリもここに一緒に来てたら家族に対する気持ちが変わっていただろうか。
 いつも残業で夜中に帰って来て顔を見ない日もあった。会話はほとんどメモ書きだったが、書かれている内容はいつしかゴミの日の『ゴミ』の文字だけになっていた。

 もし、アメリカ赴任について来てくれていれば家族団らん生活ができたのに。無理矢理にでもアメリカに連れてくればよかった。そうすれば妻の協力を得て、アメリカでの生活にも自信がつき、こんな結果になっていなかったに違いない。

 優作は寂しさのあまり、カオリが優作に放った言葉も忘れ、都合のいいように回想していた。

 そんな、優作が都合のいい思い出に耽っていた同時刻の日本では――――。

 優作の妻であるカオリは、ふかふかの高級ベッドの上で、仲の良い友人からのLINEを確認していた。

「早く月曜日が来て欲しい。週末は主人がずっと家にいて超ウザい。今、お風呂。カオリさんはいいよね、旦那さん海外で単身赴任だし。超うらやま~」
 カオリはふふっと笑いながら返信した。
「亭主元気で留守が良いって本当ね。家にいてくれない方がストレスなくて幸せよ」
 すぐに「それな」のセリフが入ったキモカワなスタンプが返ってきた。
「夫は戻らなくていいから金だけ送ってこいっつーの」

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