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のこりわずかな地球生活の記録🌏

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  • イタリア追想

    古い旅の記憶、ヘッダーはロンバルディアのトウモロコシ畑。

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1. 旅行の準備

回数は少ないけれど、最初に自分で手配して海外に旅行したのは2000年の9月。もう20年、目眩がする。インターネットはあっても、手配はまだまだアナログ。 飛行機のチケットを購入したのは、アリタリアのコールセンターだった。「イタリアに行くなら、アリタリアだ」と周囲のイタリア旅行経験者はほぼ一致。でも、飛行機がその日に飛ばないかもしれないんだ、と笑い、JALの客室乗務員は本当に素晴らしい、と言う。深いイタリア愛を見た。 TripAdvisorやBooking.comのようなポー

    • 24. アルベロベッロ

      朝起きて支度をしたら、電車の時間を再確認するためロビーに小走り。朝食のホールから朗らかなウェイターが出てきた。あれっ、食事は?後で行きます。そう、待ってるよ!美味しそうな香りが漂っていた。結局、急いで食べたら大丈夫だけれど、本数が少ないため、そのまま出掛けることにした。 窓からはオリーブの林が、次いでロコロトンドの旧市街が見えてきた。丘陵部に丸い形で建物が並ぶ。もうすぐ目的地、美しい木という意味の街アルベロベッロ。 木々の間に徐々に変わった形の建物が見えるように。トゥルッ

      • ピランデッロ埋葬エピソードが映画「遺灰は語る」に

        イタリア人の小説家・劇作家ピランデッロの生家とお墓は、イタリアの一番大きな島シチリアのほぼ南端、アグリジェントのカオス村にある。そこに行ってきた話と、亡くなった際の埋葬騒動を前出のnoteに書いた。 タヴィアーニ監督の新作はこのエピソードの映画化だと今年春のイタリア映画祭で伺い、見に行った。 「遺灰は語る」(LEONORA ADDIO) パオロ・タヴィアーニ監督(2022) 遺灰を巡るすったもんだは1930-50年代。故人の遺志は冒頭で遺言状の画像とともに伝えられるのだ

        • 23. マルティーナフランカの夜

          改札を出ると、暗い中見えるのは小さな街。それに坂道、長めの緩い傾斜の。ホテルまで歩けないことはなさそうだが、もうタクシーにしたい。でも、乗り場がない。改札に戻って聞こう。すると、もうシャッターが閉まっている。デジャヴ!いや、まだ駅員はいるはず。何度か呼ぶと出てきてくれた。助かった。タクシーは呼ばないとね!と電話番号を書いてもらうと、駅員達は速攻で帰路に。 成田で契約した海外対応の携帯を使って連絡すると、すぐに行くと言われたのだが、人が通らない道で待っている時間は長く感じられ

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        1. 旅行の準備

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        • イタリア追想
          26本

        記事

          22. バーリの空港で

          地球で生き物が暮らす様子を眺めてご機嫌なまま、飛行機はバーリ(Bari)のパレーゼ空港に着陸。パレーゼの別名は、カロル・ヴォイティワ(Karol Wojtyła)空港。誰かと思ったら、ヨハネパウロ2世。他は出身地の人の名前が付いているようだけれど、ポーランド出身の法王なのは、なぜだろう。飛行時間は1時間15分と短く、プロペラ機は気圧の変化が少ないので、身体が楽なのもよかった。 小さな空港の到着口から出ると、古くて飾り気のないロビーに大勢のイタリア空軍の兵士が待機している。一

          22. バーリの空港で

          21. パレルモの空港へ

          パレルモの空港までバスで移動、7500リラ。切符は路線が変わっても、日にちに穴を開ける方式は同じ。 空港はそれほど大きくない。でも、国際空港だ。急斜面の小さな山が見えるのがシチリアらしい感じがする。 イタリアの空港には、名前が複数ある。パレルモ空港で通じるが、正確には所在地名でプンタライジ空港。別名はファルコーネ・エ・ボルセリーノ空港。シチリアの誇り、ファルコーネとボルセリーノはマフィアと戦った2人の裁判官の名前がつけられている。カターニャはヴィンツェンツォ・ベッリーニ空

          21. パレルモの空港へ

          20. バラッロ市場へ

          次はバラッロ市場(Mercato Ballaro)に向かった。旅の途中では買えなくて残念だけれど、日本では見ない珍しいものが多くてたのしい。魚屋では、氷の上にカジキマグロの頭と切身が置かれていた。角のある頭が置かれているのは生だと示しているらしい。丸ごとの蛸を勢いよく板に叩きつけていた。こうして柔らかくするそうだ。肉屋では自家製のサラミを吊るしていたり、塊をその場でカットしてもらったり。子どものとき、自家製の焼豚を吊るし、フライや唐揚げも販売している個人商店が至る所にあった。

          20. バラッロ市場へ

          19. クアトロカンティからパラティーナ礼拝堂

          真夜中に電話が鳴り、日本からと取り次がれる。Hertzレンタカーから車の手配ができましたという連絡だった。途中からは車移動の予定。イタリアはマニュアル車のため、当時はレンタカーでもマニュアル車が9割5分ほど。運転できる同伴者の希望がオートマで手配に時間がかかったが、これで一安心。 翌朝、近くのバス停へ。時間を確認してから、タバッキでバスのチケットを買おう。すぐ来たバスを見送り、探したが見つからない。一旦バス停に戻ったらバスが来て、ドアが開いてしまった。タバッキがない、切符が

          19. クアトロカンティからパラティーナ礼拝堂

          18. カテドラーレからモンレアーレへ

          翌朝、天井の美しいホールでコンチネンタル式ブレックファスト。急いでいたので写真がない。ウェイターは皿を下げたり、リクエストを聞きに、こまめに巡回していた。向こうでは、一人の初老のウェイターがアメリカ人家族の席で「Ancora banana? (バナナのおかわりいかが)」と、袖からバナナを出すマジックのようなパフォーマンスで笑わせていた。お茶目だ。 カテドラーレまで徒歩で。距離はそれほどなかったが、空気が悪く、すぐに喉が痛み出し、耐えられなくなった。車の排気ガスだ。飛行機の中

          18. カテドラーレからモンレアーレへ

          17. パレルモの夕食

          レストランなどの店が開くのは夜8時と少し遅い。かといって、洗濯するほどの時間はない。2泊するので、ここではランドリーを頼むことにした。緊張。電話をかけたら、英語でピックアップ?と聞かれて、部屋番号を伝えるだけでOKだった。当然か。取りに来てもらい、チップを渡す。仕上がりが楽しみ。散策に行こう。 すぐ近くのポリテアーマ劇場は、19世紀の後半に作られた歴史ある劇場。当時も今も現役のようだ。オペラを観てみたい。映画のゴッドファーザーで使われていたのは、マッシモ劇場の方。 夜景っ

          17. パレルモの夕食

          先日、とうとう この日が来た!と。アリタリア国営化へ。随分前から色々な問題があったので、不思議ではないのですが。もうあの飛行機に乗れないというのが、寂しいです✈️ 詳細:https://twitter.com/alitalia/status/1430204941205901314?s=21 イタリア追想、まだ4日目。書き終わるのはいつ?

          先日、とうとう この日が来た!と。アリタリア国営化へ。随分前から色々な問題があったので、不思議ではないのですが。もうあの飛行機に乗れないというのが、寂しいです✈️ 詳細:https://twitter.com/alitalia/status/1430204941205901314?s=21 イタリア追想、まだ4日目。書き終わるのはいつ?

          16. パレルモのホテル

          ほどなく目的地に到着。タクシー運転手にトランクからトランクを出してもらって、Grazie, arrivederci! と挨拶しながら、チップ込みで22.000リラを渡した。 ホテルの名前はグランドホテル エデパルメ(Grand Hotel Et Des Palmes)、ポリテアーマ劇場の比較的近くにある。バス停が近くにあるので移動に便利そうだし、予算内でバスタブがあるのが決め手だった。自分の好みよりは、規模の大きいホテル。 チェックインカウンターで出迎えてくれたのは、優し

          16. パレルモのホテル

          15. パレルモに移動

          ここまで来たら、塩田がある町トラーパニまで足を伸ばしたかったが、かなり便が悪かったので諦めて、そのままパレルモに行く計画で落ち着いていた。プルマン(長距離バス)の切符売り場を探しに行くと、この小屋だった。見逃してしまいそう。片道13.000リラだった。 時間があるので、近くのバールで何か食べよう。とにかく暑かった。先ほどまでいたピランデッロの生家は、アグリジェントの南端。日本と違い、湿気が低いので動けてしまうが、たぶん40度近かったのではないか。ふと服を見ると模様ができてい

          15. パレルモに移動

          14. ピランデッロの生家へ

          フロントでタクシーを呼んでもらい、イタリア人作家ルイージ・ピランデッロの生家に行こう。神殿の谷の割と近く、カオス(Caos)という村にある。地図の矢印部分。 ピランデッロ(あるいはピランデルロ)は、タヴィアーニの映画『カオス・シチリア物語』(Kaos)で、気になっていた作家。『Novelle per un anno』(1年間の物語)が原作で、この映画は4つの短編にプロローグとエピローグで構成されている。切ない音楽が流れ、荒々しく美しいシチリアの地をカラスが飛ぶのを見ているう

          14. ピランデッロの生家へ

          13. 神殿の谷へ

          鳥の声で目が覚めた。身支度をして、すぐに神殿の谷に行くことに。 ホテルの敷地は広く、門まで少し距離がある。景色を見ながら庭を歩いていると、まっすぐ行けそうじゃない?という話になって、そのまま乾ききった庭を進む。しばし歩くと長い塀が見え、金属製の半開きの門があった。それには"Valle dei Templi"と手書きされたプレートが括り付けられていた。かなり古く、端は錆びている。世界遺産だよね?イメージと違ったが、さあ入ろう。中に切符売り場があるのだろうと歩いていくと、もう神

          13. 神殿の谷へ

          12. パネッレ

          日本でイタリア料理というと、パスタ、ピッツァなどがイメージできると思うけれど、細かく見てみるとかなり違っている。統一されて生まれた国は、ざっくり南北に長く伸びた半島と大小の島が点在する。各地域の気候や風土によって、その土地で育てられる植物も動物も違うため、食事の内容がさまざま。 シチリアは他にも交易が盛んだったり、侵略されたりで、色々な食材があるらしい。フェニキア、古代ギリシャ、古代ローマ、アラブ、スペイン、フランスなどの影響を受けているそう。 トップの写真、夕食で食べた

          12. パネッレ