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ギヴの罠

おはようございます。

土日をインプットに徹すると
アウトプット欲がめきめき湧いてくる。

今の僕の心身的にはこの
スケジュール感はいい。

慣れてきたらもう一段階負荷を上げてより
自分自身を成長させていきたい。

とかカッコつけて書いてはいるけどさ、

そもそもインプットに徹する土日をどう過ごしているのかというと、スマホを極力放置して、家族と遊ぶ、本を読む、ドラマや映画を観るなど、強烈に遊びを楽しんでいるだけ。

でも思わない?
こういうことって結構決めてしまわないと出来なくなってる。

スマホの普及は便利さと共に
スマホの束縛から逃れにくくなった。
いわば、みんなが持ってる特急呪具。

インターネットの世界は視野が広くなる経験を得る反面視野が狭くなる経験も同じかそれ以上伴う。

ここら辺はまた別の機会で。

ともかく今回の冒頭は
土日すごーくゆっくりしましたよ!
って言いたかっただけなのだ。


さて本題。

みなさんは誰かに何かを与えてますか?

YESとすぐ答えられる人は素晴らしいと思う。

僕は
「うーん… YES!」

くらいな感じで答えそう。

誰かに何かを与えるということは素晴らしい。
いわゆるGiveの精神ってやつ。

世間でもそこそこ浸透しているのかなって
勝手に思ってるけどどうだろう。

ただ最近思うのは
言葉だけが浸透していて
意味が暴走しているような気がする。

具体的な話をすると
職場などでよく受ける相談

「こんなにしてあげてるのに」

「これ以上何をしてあげれば」

と言ったワード。

他にもね

「与えると与えないのバランスがわかりません」

ってのもある。

これ、ギヴの罠です。

今一度立ち戻ってみてほしい。

誰かに何かをあげるのは何のため?
誰かに何かをしてあげるのは何のため?

僕の思うギヴは
相手の成長や成功、そしてその先にある幸せになるために与える行動。

そこにあるギヴはえるものだけではない。

良い物をあげる
前向きになる言葉をあげる
動きやすくなる行動をあげる

だけではなく

あげないをあげる

っていう選択肢はないだろうか?

それは
行動を見守るであったり
言葉を聴いてあげるであったり
または便利だったものをお預かりすることも時としてギヴになりうるのではないだろうか。

それが結果として相手の成長や成功、そしてその先にある幸せになるための行動なのであれば、全てはギヴだ。

もし
ギヴの精神に疲れている人がいれば

もしかしたらそれは
ギヴではなくなっているかもしれない。

おわり。

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