「小説を書く」ということ
長い独り言です。
白雪姫と7人の古美門が一人で喋ってます。名前長っ。
いつも大きな独り言だけど、今回も変わらず大きな独り言を言うことにします。
※だいぶ自我!書いてて私が整理できてすっきりした!
私は文章を書いて生きていきたいと思っている人です。
でも、私は文章を書くために努力が必要な人間でもあるから、呼吸をするように永遠と書いている人とは才能の差がとてつもなくあるな、とも感じています。
私にもしばらく文章を書いていないと息が詰まってくる感覚はあるよ。血液が固まって血栓ができてしまっているような心の硬さを感じた時は、どこにも発信しないショートショートを書いてすっきりする時がある。
自分が悩んでいることをテーマに書くと、登場人物が勝手に動いて勝手に喋りだしてその悩みのアドバイスをくれたりする。
でもこれは才能の域じゃない。自分の文章と対峙することは苦痛でもある。ずっとまだまだだ。
でも、私にとって執筆することと生きていくことはもう切り離すことができないほど、密着も執着もしている。
日常的なことも非日常的なことも「描写に使お」とメモしたり、辛いことがあると泣きながら「いつか小説で書こ」と思って乗り越えたりする。
諦めるとかどうとかより、私の「生きる」とあまりにも同等な存在になってしまった「小説を書く」こと。それを振り返ってみます。
自分でも、私が何を考えているのか知りたくなったから勝手に書いていくよ。いつもと調子が違うし読まなくていいやつだよ。書いてて楽しかったです。
でも白雪姫と7人の古美門、ってよりかは「私」が出すぎていて、中の人って感じがしちゃうな。「古美門ちゃん」って外のツラだったんですか?
小学生
「どうしてみんな将来の夢に『小説家』って書かないの?」
私は小学四年生の頃、突然小説を書き始めた。キッカケは本当に覚えていない。気づけばダイソーのノートに一次創作の小説を書き始めていた。女騎士がさらわれた王国の姫を救いに向かう話だった。
そして同時期にキングダムハーツにハマる。当時はハマった理由が明確に分からなかったけど、小学生の私は友達に見せてもらったあるシーンを見て感動が止まらなくて「一週間ずっと頭の中で鐘が鳴り続けてる」と表現していた覚えがある。
それは比喩を使ったわけではなく、本当に頭の中で黄銅色の鐘がその重い身を揺らして鳴っていて、その音波がずっと心に響いていると思ったからだった。
そこからキングダムハーツを元にした小説も書き進めてた。
いわゆる二次創作の小説。それが本当に楽しくて仕方がなかった。
仲の良い友達はいたし校庭で一緒に遊んだりもしていたけれど、それ以外の休み時間はずっと小説を書いていた。3時間目と4時間目の間とか、帰りの会が始まるまでの合間とか。
ノートに文章を書き殴っていたけれど、ストーリーが溢れんばかりに次々と思いついて、そのスピードに追い付けない鉛筆を握る指がじれったかった。頭に思いついている全てが瞬時に書き込められれば良いのにと思った。
表現は拙いながらも、この頃から物語のプロットを組む興奮を味わっていたんだなぁ。無意識ながら。
実家には十何冊ほど文章で書き詰められたダイソーのノートがカラーボックスのどこかにしまわれているはずだ。
小学五年生の夏休み、自由研究で小説を書いたら担任の先生が「賞に応募してみない?」と「12歳の文学賞」という文学賞への応募を勧めてくれた。応募してみたけれど、何の音沙汰もなかったから落ちたんだと思う。
でも、ホームルームで「先生には小説を書く力はないから、素敵な才能だと思う」と褒められて嬉しかったことは、今でも覚えてる。
小学生の頃の私にとって「小説を書く」ことは、楽しくて仕方がないことだった。
小学四年生を境に将来の夢の欄には「小説家」と毎回書いていた。他の友達が別の職業を書いていると「小説を書くことが一番楽しいのに、なんでみんな小説家って書かないんだろう……?」と本気で不思議に思っていた。
愚かで、一直線で、眩しい時代。
高校生
「文学でのみ沸き立つ心の部位がある」
一端の常識や自我をコレクションして、楽しさもあれど人生において一番辛いタイミングでもあったと言える時期。いわゆる不安定な思春期。
時々時間を巻き戻してもう一度高校生をやりたいと言う人がいるけれど、私は絶対戻りたくない。
部活が本当に嫌だし人間関係のやり方も難しかったし大学受験は血反吐を吐いたし、第一、常に「今」をどう最高にするかで進んでいきたいし。
でも、小説を書くこととは別に「文学」というものを知ったのは高校二年生のことだった。
新しい国語の先生が来た。
二十代の女性の先生。
仮名として小森先生と呼ぶ。
小森先生は常に目を見開き、教壇が舞台上であるかのように喉を開いて授業をする先生だった。そして教科書に載るただの教材にしか見えなかった物語を、比喩表現の宝庫へと化してくれた先生だった。
今ではどの作品のどの場面のことだったか覚えていないけれど、例えば油ぎったものをたらふく食べた後の描写で「下腹部は脂肪がうっすらと白く光っている」というような文学的比喩表現に心惹かれるようになったのは小森先生のおかげだ。
小森先生はその見開いた目で、低く轟き通る声で教えてくれた。
小説の面白さはストーリーとは他に、目に見えないことを武器とし想像させる表現力にもあることを教えてくれた。
確か小森先生の授業で「美しいと思うもの」をテーマに文章を書く、という時間があった気がする。
そこで私は葉桜をテーマに美しさを説いていた。
一般的に葉桜は「なってしまった状態」として春の終わりの表現とされる。ただ私にとって葉桜は、無常にも移り行く季節と、次を生きる果てしない生命力を感じさせる美しいものに見えたんだと思う。今でもそう思うから、高校生の私もそう思っていたんだろう。
あと、このクラスに私以外これを書く人はいないだろう、ということも思っていた。
個性派になりたい気持ちがちょっと出てたのかもしれない。
そして私の「葉桜」を見た小森先生は教室を見て回る足を止めて、座席に座る私と目を合わせるためにしゃがみこみ「葉桜を美しいと言える貴方の感性は素晴らしい」と褒めてくれた。この感性がどのように素晴らしいのかも語っていてくれた気がする。
ただその時の私は褒められていることを自覚しながらも眠くて仕方がなかったことも猛烈に覚えている。うつらうつらと舟を漕ぐ私に熱く褒め続けてくれた小森先生。
「起きて、今褒めてるから」とか言わず、構うことなく注ぎ続けていた小森先生。
面白くて不思議で底のない人だった。
そんな小森先生は、わずか一年足らずで私たちの元から去ってしまった。
結婚をしてお腹には赤ちゃんがいた、友達は「少し体調を悪くしたんじゃないかな」と言っていた。
小森先生の授業が大好きだった。
時間割を見て国語がある日は心躍ったし、授業は先生と同じように目を見開いて受けていた。小森先生が今日も教えてくれる色濃い突風のような文学を、取りこぼすことなく吸収したかったから。
小森先生はもう私のことを覚えていないと思う。
でも、もし良ければ、また会いたいと思う。
貴方の国語の授業が大好きだった。
高校最後まで貴方から文学を教わりたかった。
貴方のおかげで今でも私は文学を愛していて、文学でのみ沸き立つ心の部位が私には出来ている。
小森先生のことは本当に何も分からない。
言ってしまえば、生きていてほしいなとすら願うほど、何も分からない。下の名前も忘れてしまった。確か三文字だ。彼女らしい素敵な名前だった。
もう会えないんだと思う。そんな気がする。
でもそう思うから、卒業前に去ってしまった先生だけどどうにか卒業アルバムに名前が載っていて、どうにか私と小森先生を繋ぐものがないか、探したい。
「会いたい」と思う気持ちに結末がついてしまうことも少し怖いと感じる。
ずっと「いつか会いたい」と思いながら私は一生を終えるんじゃないかと思っているから、本当に会えないと句読点を打つしかなくなってしまったら、どうしようと思う。
小森先生に会えたら何を話せば良いかなんて分からないのに、時折泣きたくなるほど会いたい時がある。
あの頃よりも自分の言葉で話せる私になっているんじゃないかと思う今、小森先生とどんな会話ができるのか、ずっと私は知りたい。
高校生の頃の小説は、あとはそうだな、
大学受験勉強中は日本史の大政奉還らへんをテーマに小説のプロットだけを考えて辛抱してた。小説を書く時間はないけど、日本史の勉強になるやろと思って。
ただ別途、一日一時間までと決めて受験勉強中も書き上げた小説がある。まぁたぶん全然一日四時間とか書いちゃった日もあった。受験前に彼らの話を終わらせなきゃと思って。あーあ。
でも完成させられて偉かった。
桜の美しさと残忍さと儚さを多方面から見たような話だった。
大学生~現在
「私はなんとなく水が好き」
ありがたいことに大学に通わさせてもらえた。私は迷うことなく文学部に進んだ。
就職に役立たないと言われていたけれど、深く学ぶことを選べる場面で、私が文学以外を選択する意味が分からなかった。それは右足を出したら左足を出すように、当たり前のことだった。
創作のゼミに所属し、教授からはにこやかな笑顔で
「ここにいる人たちは誰一人普通の人がいない、全員社会不適合者で全員小説が書ける人たちだ」
と言われた。
失礼がまず先頭に立っていたけど、欠落のある人間が小説を書くと思っていたから「書くべくして小説を書いてたのかな」と嬉しく思ったりもした。社会不適合者とか言われてるけど。やっぱり失礼か。
詳細は伏せるけれど、教授はちゃんと大きな賞を受賞していてちゃんと凄い人だ。教授含めてそのゼミは異様な雰囲気を持っていた。面白い人たちばかりだった。
卒論も小説の提出だった。
何を書こう、と考えると、無意識のうちに候補にあがる要素が「水」だった。
思い返せば卒論よりも前に書いていた題材の多くに「水」が組み込まれていた。
水族館に人魚が展示された話、自我のある水滴が雨になって地上にたどり着く話、そして卒論は、世界が水に覆われた後の話。
卒論の評価として
「2/3までは面白かったね。急いで書いたでしょ」
と言われた。急いで書いたことがバレた。
面白かったと言われた2/3については
「少し前のフランス文学を感じさせる。貴方の書き方は意図的にやろうとしていることが外れたりするけど、天然でやることがうまくいったりするね。時々読者を置いてきぼりにすることがあるから、文章にもっとメリハリをつけて読者を引っ張ること」
と言われた。全部が見透かされている気さえした。
今思い出したけど、このゼミには週一で「今週あったことをなんでもいいから書いてくること」という課題があった。いわゆる日記を提出する、みたいなものだけど、そこでも「貴方はこの週一の課題の文章が良い。この感じで書けたらいい」と言われていた。
先生に二回同じようなことを言われてたんだな。小説を書くぞ! って思ってない時の方が良い文章が書けるってこと? いっぱい書いてそれを日常とするしかないか。
卒論に書いたのは、世界が水に覆われた後の話。
私はいつからか「水」に惹かれている。
理由はない。後付けて良いとすれば、人が輝くものを好む理由として、太陽の光に反射してキラキラと輝く”水”を求めているから、という所説が好きだから。
ここから先、いかに水を書くことができるかが執筆の課題になるだろう。
水は「生」を書くにおいて比較的味方でいてくれる。
私が文章上で水を表現する時は「生きること」を物語上に置きたい時だ。
そして水と対立するものが出てきた時、それは「死」を表現することになる。
このように、私は小説を書くにおいて、構造上何かを対立させている。これを「VS構造」と呼んでいる。この話はまたいつか。
もう一つ書いていきたいテーマは「なんとなく」という、曖昧で形状を持たないくせに実は強い意志を持つ感覚だ。
私が一番好きなドラマは『リーガルハイ』だ。
ただ、同じくらい大好きなドラマに『カルテット』というドラマがある。登場人物全員のセリフがセリフめいていて、全ての発言に意図的な影が見える。
『カルテット』を観るには体力が必要だ。全てのセリフが濃厚で、毎場面メインディッシュが運ばれてくる感覚になる。
そんな『カルテット』に「はっきりしない人ってはっきりしないはっきりした理由があるんです」というセリフがある。
このセリフが好きだ。全ての事柄の裏側に触れているようで、好きだ。
「なんで〇〇にしたの?」と尋ねた時「なんとなく」と答える人には、必ず「なんとなく」以上に強い意志が奥底に眠っている、そう思っている。
そのオブラートのように透けた「なんとなく」を、転がしたり温めたり溶かしたり焼いたりして、得体の知れぬ内部をまた、書いていきたい。
私はなんとなく、水が好きだ。
大きく長い独り言を書きたくなった。
結論としてまとめる内容もない。
これだけ文学に囚われていながら、発展途上過ぎる自分の文章力には眉間にしわが寄る。
いっそもう上にあがってこれないほど文学に沈んでしまえばいいのに、とも思う。
心地良いリズムで息継ぎをしながら、次第に潜れる時間を延ばしていって、あの話もこの話も完結させたいな。
書いたことすら忘れた頃の私がもう一度読んで、自分の文章に惚れ直してしまうような文章を綴りたいな。
私の文章のTOは私なので。
(賞もください)
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