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団地は再生の夢を見るか.2

プロローグ<どこかの団地のどこかで>

@kikkawadanchi / 0時56分。

 どこかの団地の中の、そのさらに中の棟の、中の階段の、中の階の、中の和室の、中の丸い机の前で、Macbookが僕の顔を照らしている。

 もう明日になって一時間が経ったけど、僕にはまだ昨日が続いている。張り詰めた日中と、その緊張を和らげるためにわざわざ一駅分歩いた後の足の裏のだるさ。そういった余韻を放り出しながら子午線よりも後ろの方でぐずぐずしていた。

 リビングで点けているテレビはいつの間にか怖そうなドラマになった。何かが割れる音がして、また元の静けさに戻った。早く寝ないと翌朝の体の重さやだるさがひどくなるとはわかっているんだけど、まだ明日になってほしくない。

 それからしばらく畳に寝そべっていた。まだい草は青々としていて、鼻を当てるとよく乾いた草の匂いがした。

記憶について

 ふいに記憶がわっと蘇る瞬間がある。

 1年ほど前、朝イチで関西国際空港に帰国して、そこから南海電車で家に帰ったことがあった。朝の6時過ぎで同じ車両に人はあまりおらず、他の人はトランクに体を預けてうとうとしていたり、iPhoneをじっと見たりしていた。みんな一人ぼっちで過ごしていた。

 海を電車で渡りきったらその次は泉佐野駅らしい。降りたこともない駅で、どんな街かも知らない。

 体をひねって車窓から海側を眺めてみると、そう遠くないところに海岸線があって、そこまでの間を低層のマンションやアパートや、戸建ての家がそれぞれいろんな方向を向きながらキュッと並んでいる。僕の背中側に朝日があるらしく、海は金色に光っていた。秩序なく並んだ建物は、夜まじりの光でいいから、照らされることを待ちわびているように見えた。

 あ、なんか、きれいだ、落ち着くな、なんか懐かしい、

 そういう類いの感覚がすごいスピードで湧き出ては、またすぐに消えてしまう。感覚をつかまえて言葉にすることはできなくて、なんとか心にとどめておく事ができたのはそういうふうに思ったという事実だけだった。

 そんな風に思ったのは、僕の持っている原風景とその風景が似ていたからかもしれない。

僕たちは自分の原風景を知っているか?

 「原風景」というのは「自分そのもの」だと思う。

 僕たちは生きていてごく当たり前にいろんな空間に出くわす。街には色々な空間でいっぱいだからだ。

 そして「ここを歩くのが好き」とか「ここは場違いな気分がする」とかそういう曖昧なものも含めて、僕たちは空間全てに、無意識的に意味付けをしている。

 その意味づけの基準は常に流転していて、同じ風景を見ても、その時々によって僕たちが感じる感覚は必ずしも同じとは限らない。

 建築的な価値も高い都城市民会館が、解体決定したことについて建築家の吉村 真基さんがそのジレンマを書いたnoteについて、このツイートの内容がまさにそのことを表しているなと思う。


 デザイン性の高い都城市民会館だったとしても、普段から日常的にその空間を使うあるいは接している地元の人にとっては、「なんでもないもの」というふうになった。空間がなんらかの意図を持っていたとしても、それをそのまま僕たちが受け取るとは限らない。

 しかし逆になんの意図もない空間について、僕たちが勝手に意味付けを行うこともある。

 というのも、僕たちは毎日労働をしたり、学校へ行ったり、あるいは外に出られなかったりして、いろんな形でこの世界と関わっている。その関わりの中で日常的に「なんでもないもの」に出くわしている。

 家の最寄駅のそばにある塗装の剥がれたポスト、角の家の欠けた表札、いつも布団を干している家、ひび割れたアスファルト。「なんでもないもの」はいちいち挙げるとキリがないくらい、とにかく無数に存在している。

 これは普段は何も思わないが、例えば遠くの旅行から帰ってきた時、「なんでもないもの」を目にするとしみじみと、帰ってきたな、と実感したり少し心の緊張が解けたりする。

 いつもは無意識になっているだけで、僕たちはそういう「なんでもないもの」を手がかりにして、自分の記憶というものを作り上げてきているんだと思う。そうやって自分の中に澱のように静かに溜まっていくものが原風景というものなんだと思う。

 生まれ育った町に久しぶりに帰って、様変わりしていることに驚き、そしてどことなく悲しみを覚えるのは、「なんでもないもの」を失うことで過去の自分を辿っていくことができなくなるからだ。


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次は、原風景と自分とが途切れることについて

書いていきます。よければ、読んでくださいね。


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