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「ここだけの話だけど」といいながら・・・

人にはいえない「ここだけの話」って、本当はいってはいけないと思うし、いうことがあっても、口外しないでと念を押すだろうし、そもそも口外しそうな人にはいわない。
どちらかというと、口外されても別にかまわないとき、軽く「ここだけの話」として、いうことがある。
あるいは、積極的に拡散希望の場合は、口外しそうな人にいうこともある。

別に人を差別しているのではない。
これは主に仕事関係のことだけど、単に方便としてそうすることもある。
ある意味、信頼関係やそれぞれの能力や立場のグレードで分けているといえるのかも知れない。重ねていうが、人を差別しているのではない。多分、お互い様だと思う。

では、そういう話を聞かされたとき、私は今までどうしていたのだろうか。
結局は話の内容で判断していた気がする。この話は、決していってはいけないだろうとか、口外しても問題ないだろうとか、或いは、みんなに知らせるべきだとか、私の判断基準で決めていた。

これって、実はとても危険なことかも知れない。
特に問題を起こしたことがなかったので、きっと正しい判断をしてきたのだと、勝手に思っている。
一つだけ気にかけていたのは、私はこうした場面で、誰から聞いたのかをいったことはない。全部の発言は私の責任で発したつもりだ。

色々と面倒なことが起こりそうなのは、話の内容がゴシップ、個人的なときだ。こういう話、とても面白いけれど、関わらない方がいい。知らん顔をしながら耳をダンボにして(昭和か死語か)情報収集だけして、一人で楽しむのだ。決して人と情報を共有してはいけない。
でも、こういうネタは、どうしても誰かと話をしたくなるものだ。そういうときは、人間関係がほぼ違う妻が話し相手になる。いつも笑いながら聞いてくれる。きっと私が楽しそうに話しているからだろう。


ところで、オフレコの話が特ダネとして報じられた事件があった。各方面で色々と分析されていたが、この役所や公職者のオフレコとは、本来はブリーフィングや会見ではできない、固有名詞などの例を出して、補足の説明をするようなことだったはず。だから、記事にはしないというルールなのだ。
居酒屋で飲みながらするような、個人的な感情をいう場所ではない。

更にオフレコだというのに、特ダネにしてしまう新聞社もどうかしている。確かに社会的に意味のあることなら、このオフレコルールを超越するだろうが、そういう内容ではなかった。角度を変えれば意味を持たせることもできただろうが、話は完全に個人の感情の問題で吊し上げただけ。

彼がどのような感情を抱いているかは、どうでもいいことだ。職務を全うしてくれればそれでいい。
彼の感情が職務の遂行に妨げになるという論調も多かったが、果たしてそうなのだろうか。意に沿わないことでも、業務命令には従っている人は多いと思うが、どうなのだろう。

と、そんなことを思った建国記念の日の朝だ。
いいお天気なので、散歩にでも出かけようと思う。


雨上がり


※文章の内容と写真は関係ありません。

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