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【山中菫】「兄妹で世界チャンピオンになるための第一歩」。元世界王者・山中竜也の妹が初のタイトルへ。 2022年9月1日

◇WBOアジアパシフィック女子アトム級王座決定戦8回戦

 日本女子アトム級2位
 山中菫(真正) 5戦5勝(1KO)
 ×
 日本女子アトム級3位
 狩野ほのか(世田谷オークラ) 6戦4勝(2KO)2分

やさしくて厳しい、かっこいい兄の背中

幼い頃から兄の背中を見てきた。「カッコよかったですね。小っちゃいときから筋トレしたり、走ったりして、ムキムキやったんで。カッコいいな、と思いながら見てました」。6人きょうだいの長男で、6つ年の離れた兄が小学生の頃からボクシングのトレーニングに励む姿にひかれ、気づいたら一緒に体を動かしていた。


 兄が中学2年になり、真正ジムで週1回、練習を始めるようになると、あとについて大阪の堺から神戸まで通った。普段は「母想いで、きょうだい想いで、優しいお兄ちゃん」が「鬼みたいに怖くなる」のは、この頃からだった。

「練習のときだけは、怖かったですね。しっかり練習してなかったら、『お前、ちゃんと練習しろ!』って、めっちゃ怒られたり。走るの嫌いやったんで、走りに行かんかったりしたら、『今から走りに行け!』って、無理やり一緒に走りに行かされたり。『もう、イヤやー』とか思いながら(笑)。そういう時期もありました」

 女手ひとつで6人の子どもたちを育てながら、ボクシングジムに通わせてくれている母への思いもあっただろう。妹に示した厳しさは、そのまま兄のボクシングに対する姿勢でもあった。

 時が過ぎ、22歳になった兄は2017年8月27日、熊本で地元の王者・福原辰弥(本田フィットネス)を破り、WBO世界ミニマム級王者・山中竜也となる。

「すごいな、と思いました。兄は毎日、練習をずっと続けて、有言実行したんで。世界のベルトを巻くって、昔から言ってたし、中学の卒業文集にも書いてたんですよ。めっちゃカッコいい、と思いましたね」

 ちょうど推薦で相生学院高校ボクシング部に入り、アマチュアのリングに上がるようになった頃だった。ところが、それから少しずつ気持ちが離れ、一度はボクシングをやめることになる。

そんな山中菫(すみれ)がプロで再スタートする決心をしたのも、目標を成し遂げる兄の姿を見てきたからだった。

写真はトレーナーと

兄のように世界チャンピオンになるまで

「兄妹そろって世界チャンピオンになって、最終目標は兄と一緒にお母さんに家を建てることです。今まで散々、苦労させてきた分、少しでも楽をさせてあげたくて。そのためにも今回、初のタイトルで逃すわけにはいかないんで、何が何でも獲りたいです」

 おっとりした口調をピンと正して、きっぱりと言った。

 18歳でプロテストに合格。5ヵ月後、19歳になった2020年12月にプロデビューし、5連勝を飾ったサウスポーは、同じく初のタイトルマッチとなる6戦無敗の狩野ほのかとアジアのベルトを争う。

 フォーカスされるのが身長差だ。147cmと最軽量のアトム級でも短躯の山中に対し、長身の狩野は163cmと実に16cmもの差がある。上背のある相手と戦うことの多かった山中にしても、ここまでの開きは初めてで「いつもよりデカく見えました」と、発表会見で狩野と顔を合わせたときを苦笑まじりに振り返った。

 それでも「逆にこの小ささを生かして、自分の思うような戦い方ができたら」と、山下正人会長とインファイトと敏捷な出入りの動きに磨きをかけてきた。戦いのイメージを頭に描き、覚悟も決めている。

「(狩野は)パンチがあると思うんで、ちょうどいい距離になって、ガツンともらったらヤバいんで、もらわんように気をつけて。気持ちも強そうなんで、根性でも絶対に負けずに最後までやりきりたいと思います」

今でこそ、「小ささを生かして」と頼もしいが、この“小ささ”がボクシングを離れた理由の一端になった。

 高校時代は思うように結果を出せなかったという。「なんで、もっと下の階級を作ってくれへんのやろ、みたいな気持ちも若干、ありましたね」。相手との体格差を感じることが少なくなかった。

もちろん試合をするのは「緊張はするけど、好き」で、勝った瞬間の嬉しさは何にも代えがたかったのだが。

「自分は向いてないんちゃうかな、と思ったり。なんで、ボクシングしてるんやろ、とか思ってしまうぐらい、楽しくなくなって……」

 現在も続けている介護の仕事を当時からしており、「正社員として働いたほうがいいんじゃないか」と迷い始めていた頃だった。決定的な出来事があった。

 兄・竜也が2度目の防衛戦でダウンを喫した末、ビック・サルダール(フィリピン)に判定で敗れ、王座から陥落した。試合後の検査の結果、硬膜下血腫が判明。頭蓋内出血が認められたボクサーは自動的にライセンス失効のルールにより、23歳にして現役引退を余儀なくされた。

「怖くなったっていうのもあるんですけど、自分の気持ちが中途半端になっていたときで、こんなんで続けとったら、兄にも失礼やし、きっぱりやめました」

 それから1年は完全にボクシングから遠ざかった。が、折にふれて見てしまうのが、兄の試合映像だったという。見るたびに募る思いがあった。

兄の代わりに自分が世界のベルトを獲る――。

ボクシングをやりたくてもできない兄の心情は察していた。あらためて、有言実行を果たした兄の姿を見直して、自らを省みた。

「自分であきらめて、中途半端にやめちゃったんで。これは、もう1回、やらなアカン、次は兄のように世界チャンピオンになるまでやりきらないと、と思って」

「絶対にパンチをもらわないように」

 プロのリングで戦うに際し、兄に言われたことは「絶対にパンチをもらわないように」。これに尽きた。

「足を動かして、絶対に止めないこと。しっかりガードすること。打ち終わりに必ず頭を振ること。この3つですね」

 昨年12月、初の6回戦で、経験豊富な樽井捺月(山木)に2-1の判定で競り勝った。打ち終わりにカウンターを合わせられるなど、「バチバチになって。もっとディフェンスを磨かないとダメだな、と思いました」と兄の言葉を噛みしめ直す試合になった。

 同じ日、兄が現役復帰を正式に発表した。約1年前から日本ボクシングコミッション(JBC)にリング復帰を申請。規約が改定され、希望がかなった。

「兄がいちばんやりたいことなので、嬉しかったですけど……。心配だし、怖いっていう気持ちも強くて」

 妹として、複雑な胸中を明かす。そして、それは母も同じだと思う。自分がプロでまたボクシングをすると伝えたときも、兄が復帰することになったときも、不安は一切、口に出さず、家族のグループLINEに「みんなで応援しよう」とメッセージを送ってくれた。が、内心は痛いほど感じ取れる。

 11月で21歳になる。現役を続けるのは25歳まで、と心に決めている。母に長く心配をかけたくないから。

「ジムのみんなからは『絶対にやめられへんで』って、言われるんですけど。いや、私は絶対にやめるぞって」

 この8月14日には、兄が復帰2戦目で寺地拳四朗(BMB)に挑戦したこともあるWBC世界フライ級15位のジョナサン・タコニン(フィリピン)にフルマークの判定で勝利した。「心配ですけど、しっかり勝って、バトンをつなげてくれると思うんで」。兄の試合を前に話していたとおりの危なげない内容で、世界王座返り咲きへ前進した。

 次は自分の番。「兄妹で世界チャンピオンになるための第一歩」と位置づけ、「来年か、再来年には、頑張って世界戦まで持っていけるように」と描く未来図を実現するためにも、重要な一戦になる。

 今後、日本ボクシング史上初の兄妹世界チャンピオンに近づけば近づくほど、注目度も増していくだろう。が、注目されるのは「いちばん好きじゃないです。ソッとしておいてほしいタイプ」と苦笑する。

「めちゃくちゃ緊張しいなんですよ。試合前なんてヤバいんです。顔が真っ青になって、もうドキドキしてます」

 初々しい二十歳の顔ではにかむが、それもゴングが鳴るまでのこと。

「カーンって鳴ったら、切り替わります。絶対に勝つぞ、パンチはもらわないぞって」

<船橋真二郎>

●ライブ配信情報
 ▷配信プラットフォーム:BOXINGRAISE
 ▷ライブ配信:9月1日(木)17時45分~試合終了時刻まで
 ▷料  金:980円 ※月額会員制
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詳細はこちら

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