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ノスタルジックな島の造船所。

【過去ブログより 2018年5月1日】


こんにちは。だんごむしです。


皆様は造船所を見たことがありますか?

私はこの春、初めて造船所を見ました。

ずっと造船所を見てみたくてようやく夢が叶いました。

きっかけは瀬戸内海を舞台にした【ぼくのなつやすみ4】というゲームでした。
主人公の叔父が造船所で働いていて、一度本物の造船所を見たいと思うようになりました。





造船所は本州で暮らしている方にとってはあまり馴染みのないものですよね。

私はこの春、瀬戸内海の島に滞在していたのですが、造船所がかなり多くありました。

そして、私の想像以上にスケールが大きなものでした。

瀬戸内海の地形が造船業には適してるみたいですね。





大きな船が水面上に持ち上げられています。

車の製造とは大きさの規模が違いますね。

造船所の仕事は船を造る以外にも、水面下で見えない船底部分の検査や補修、再塗装もやるそうです。




世界最古の造船所は紀元前2400年頃のインダス文明だそうです。
船はどんな乗り物よりも歴史があるらしいです。




島にいると遠くの方で、カンカンという音が聞こえてきます。
船に鉄板を貼付けているの時の音なのかな。
私はその音が大好きなので聞き入ってしまいます。
うまく表現できませんが、カンカンという音は街や文明の営みを感じさせてくれます。




これは伯方島の造船所の写真です。

明治時代に伯方島で造られた船はすべて帆船だったそうですが、昭和三十年代になり、小型船から大型船へ、木造船から鋼船へと変わっていったそうです。




大きな船の内部が見えます。
これから外装を貼っていくのですね。

貴重なものを見させてもらいました。




伯方島の資料館にはこのように記されていました。

【昭和十六年、第二次世界大戦がはじまると、伯方町の優秀な機帆船はほとんど徴用され、南方海域や千島海域の作戦に参加すべく出航していましたが、
途中で撃破されたり連夜の空襲を受け、無事に帰島できた船は皆無に近く、多くの船員も船とともに殉職しました。その多くはフィリピン、ボルネオ、ニューギニア海域で撃沈されました。】

戦争の影響はこんなところまで来ていたのですね。

資料館に行ってこの事実を知ることがなかったら、造船所を見てもただかっこいいなぁとか、すごいなぁとしか思わなかったのでしょうね。




伯方町では昭和三十一年に初の鋼船が進水したことに始まり、鋼船時代が到来したそうです。

船種は貨物船、自動車専用船、タンカーなどで、船腹量が全国の約3%を占めるまでになり、伯方町を代表する産業になったそうです。




知れば知るほど造船業って大変で大きな仕事だと思いました。

船に乗って大海原に飛び出してく勇気、尊敬に値します。
私だったら怖くてできないかもしれません。





日が沈んできました。

最初はただのゲームがきっかけで見に行きたいと思った瀬戸内海の造船所。

ここに来ることがなかったら一生見ることがなかったであろう造船所。
本当に来てよかったです。




夜になり、造船所のクレーンの先が赤く点灯しています。

今私は感謝と尊敬の念と冥福を祈る気持ちを持って造船所を見ています。

お読みくださりありがとうございました。


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