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状況に埋め込まれた学習~正統的周辺参加

突然ですが、新しい本を読み始めました。中身をまったく知らないまま、誰か一緒に読む人いませんか、とお誘いがあったのでとりあえず購入してみました。

全く知らずに読み始めましたが、かなり今の興味に近い内容で非常に面白いです。本編が110ページと非常に短いのであっさり読めるかと思いきや、文章が昔の論文直訳みたいな読みにくさで難航しております。

今回は、とりあえず半分くらい読んで分かった概要を紹介します。

徒弟制度~弟子入りして学ぶ

この本は、人間が「学習」をどのように進めているのかを明らかにしようとしています。長い人間の歴史を振り返ってみると、人間が何らかの技術を学習するのは「徒弟制度」のような形態がメインです。職人の元に弟子入りして、師匠の行動を見ながら技術を盗んでいく、少しずつ身に着けていく、みたいなやつです。

この徒弟制度を掘り下げて、人間の学習ってどんなプロセスで行われているのかな、というのを解明するのが本書の目的です。

ここで面白いのは、「学校教育」を例外的な学習形態としていること。今や教育と言えば学校や塾などの集合教育が基本ですが、これは長年の経験を元に教育を効率化した形であって、本来の学習スタイルではない、というのが筆者の見解です。

しかし、世の中の「学習」に関する理論はほぼ全て学校教育との関係で語られてしまうので、まずはそこから距離を取ります、と宣言しています。

正統的周辺参加~学習の意味

筆者は、学習を「共同体への参加度合いの増加」と考えている。最初は共同体における新参者として、中心ではなく周辺に位置する。そこから徐々に共同体への寄与を増やしていくことが学習なのだと。

そして、知識というのは、書物に記録された普遍的な原理ではなく、共同体の中でお互いの関係性の中で意味づけられ、形作られていくものだと。

だから世界の意味は経験と理解を繰り返しながら定義されていき、知識は社会環境の変化とともに移り変わっていく。

新参と古参

こうして移り変わっていくことが学習であり、共同体社会であるとしたら、そこに居座る古参が問題になるという指摘が、とても面白い。

学習のプロセスおよび社会的再生産のサイクルが、問題をはらんでいるということである。新参者にとっての意味と、新参者の参加の増大による古参者にとっての意味には根本的な矛盾がある。十全的参加への向心的発達、実践共同体の成果ある生産は、同時に、古参者の交替をも意味しているからである。

P34~35

世界の意味が変化していく中で、古い意味に囚われている古参は害悪となって共同体に緊張をもたらす。これらがどう解決されていくのか、まだその答えにはたどりついていないので、続きが気になっています(答えが出てこない可能性もありますが)。

ということで、興味のある方は一緒に読んでみましょう!


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