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発明

発明

人類最大の発明とは何であろうか。
一説には、人類の三大発明として「火薬」「羅針盤(らしんばん)」「活版印刷(かっぱんいんさつ)」が挙げられている。
そして、四大発明となると、ここに「紙」が入るらしい。
いやいや、そこはやはり「ネジ」だろうという人もいれば、「蒸気機関(じょうききかん)」だという人もいる。

あの有名な物理学者のアインシュタインは「人類最大の発明は『複利(ふくり)』である」と言ったそうだ。
複利とは、利子が利子を呼んで、どんどんお金が増える仕組みの事。
まぁ、アインシュタインが本気でそう思ったのか、資本主義への嫌味としてそう言ったのかは、本人のみぞ知る所であろう。

歴史上には、世の中を便利にしてきた数多(あまた)の発明があり、人それぞれに評価(ひょうか)は違うようであるが、
中には、あまりにも身近にあり過ぎるせいか、皆が、忘れてしまっている物がある。
それが何なのか、お分かりだろうか。

それは、時間の概念であり、それを具現化している「時計」である。

かつて人類は、陽(ひ)が昇れば一日が始まり、陽が沈めば一日が終わるという生活をしていた。
それは勿論、地域によって違い、季節によっても違う。

だが、時計のある今では、陽が昇る前から一日が始まり、陽が沈んだとしても一日は終わらない。
広い地域で一日は同じ時間帯であり、季節によっても違いはない。
それは、時計が正確に時を刻んでいるからである。

まぁ、それが良いか悪いかについては見解の別れる所ではあろうが、
時計があるからこそ可能な便利さを、我々が享受(きょうじゅ)している事は間違いがない。

時計は、時間の概念を世界中の人間に共通認識として受け止めさせている。
そして、時計の刻む「時刻」を人々は共有し、それには合意せざるを得ない。

それ故に
「今は8時だ」
「いや俺は6時だと思っている」
などという「見解の相違」というものは起こりえない。
だからこそ面倒な事が起きず、便利なのである。

時計があれば、待ち合わせもしやすいし、予定も立てやすい。
また、声の届かない場所の人とも、タイミングを計る事が出来る。
お正月に全国一斉に新年を祝えるのも、この時計があるからなのだ。

時計という道具は、日時計から始まり、水時計、砂時計、線香時計などと進化を続けて、今の形となった。
それ故に「発明なのか?」と言われると、良く分からない所ではあるが、人類を一番進化に導いたのは間違いないと思っている。

しかし、困った事に近年になって、人間はこの時計の刻む時刻というものに縛られるようになってしまった。
何をするにしても、時刻を基準として物事が成り立ってしまっているのである。

時には、人の感情よりも時刻が優先される事がある。
例えば電車や飛行機などの交通機関だ。
電車は否が応でも定刻通り出発してしまう。
駅で、目の前を無情にも通り過ぎる車体を、悔しい思いで見つめた経験のある人も、少なくはないだろう。

客が乗りたいと思い、運転手が乗せてやりたいと思ったとしても、時刻がそれを許してはくれない。
そんな状況は、まさに時間に支配されていると言ってもいいだろう。

昔、時計が精密になりかけた頃、「人類はいずれ時間に支配されてしまうだろう」と考えた人は少なくない。
また、その考えに対して「そんな事がある筈がない」と考えた人も大勢いる。

しかし結果として、人類は時間に支配されてしまったと言っていいだろう。
火のない所に煙は立たないというが、人の想像というのは、案外侮(あなど)れないものである。

もっとも、これは繰り返しになるが、今の状況が人類にとって良いか悪いかは別の話である。
状況としては、我々は時間に支配されてはいるが、我々が享受している利便性(りべんせい)は、それ以上なのかもしれない。
勿論、窮屈(きゅうくつ)だと感じる事もあるが、同時にそれなりの自由も感じる事が出来る。
また、場合によっては、一時的ではあるが、時刻の束縛(そくばく)から逃れる事も出来る。

この辺りの見解は、人によっても違うであろうし、その人の置かれた立場によっても、その都度違ってくるのだろう。
そして、時間を具現化する時計は、今や様々な形となって生活に溶け込み、中では美術品として扱われる程のものまである。
時計を愛してやまないという愛好家も多い。
やはり、時間の是非については、そう易々(やすやす)と、答えの出せるものではないのであろう。

さて、話は少し変わるが、人類は20世紀になって、時計と同じくらいの発明品を手に入れた。
それがコンピューターである。

非常に便利なこの発明品は、瞬く間に世界を席巻し、今やコンピューター無しでは生活が成り立たなくなってきている。
まさに、驚くべき発明品である。

そして、このコンピューターが進化してきた昨今、かつての時計と同じ状況が起きている。
「人類はいずれコンピューターに支配されてしまうだろう」と考える人がいるのだ。
勿論、その考えに対して「そんな事がある筈がない」と考える人も大勢いる。

果たして我々の未来はどうなるのだろうか。
コンピューターは、時計と同じ道を歩むのであろうか。
はたまた、違う未来を連れて来るのだろうか。

しかし、いずれにせよ、もしコンピューターに支配される未来があるとしても、
それが良いか悪いかは別の話なのかもしれない。

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