12/17 起床とスラムダンク
睡眠不足が悪であることは自明だ。1時間で足りるならよし。足りてないなら悪し。
ただ、睡眠が足りていても、起きて活動していくために何かが足りない。ずっとそう感じていた。
それをどうにかするべく、まずは身体を起こそうとしてみた。筋トレする、散歩する、風呂に入る。
なるほど、目は覚める。これが肉体の目覚めなのかな。
だが、精神が目覚めていないらしい。生きる気力が足りない。言葉で目的を掲げてもやる気が出ない。別にそんなこと俺はやりたくない。今もうすでに風呂に入って満たされている。なんで満たされているのに動かなければならないのか。そういう気持ちになった。
以前にもこういう気持ちになったのを覚えている。精神的自殺を済ませつつあった社畜時代だ。朝早く起きて身体に喝を入れたけど、なぜかやる気が出なくて頭の中に「?」が浮かんでいた。
ついこないだスラムダンクの映画が公開されたが、その宣伝の一環として、YouTubeでスラムダンクのアニメが公開されていたので見た。
桜木花道の合宿、シュート2万本のところらへんだ。
合宿のあと、遠征に行っていたゴリを中心とした他メンバーチームと、陵南・翔陽の混合チームでの試合がある。そこで桜木花道は合宿シュートを決め、ダンクも決める。
僕はそれにえらく感動して泣いてしまった。
その理由を考えてみたのだが、感動ではなく嫉妬していることがわかった。理由は2つ。
ひとつ目、どうやら僕は、桜木花道の真っ直ぐさと才能に嫉妬しているらしい。
ふたつ目は、才能があり同じ志を持った仲間がいることに対する嫉妬。
僕はひねくれているので、まっすぐに感情を表現できなくなっている。桜木花道はそれができた上に、才能があり、さらに同じような仲間がいて、どこか上を目指していける。それがうらやましかった。
僕はその物語に感動し、まっすぐさや才能や仲間を欲望した時に、精神が目覚める感じがした。たぶん、これが僕には足りなかったんだ。
これは、これまで僕が避けてきたモチベーションだ。
欲望することを避けてきた。ただフローに、楽に、流れるように自動的に頭がうまいこと働いて、すべてがうまくいくような世界をイメージしていた。だが、その世界は存在しないらしい。
フローを意識することによる恩恵は受けてきている。そのおかげで無理なくできることも増えたし、これまで感じることのできなかった平穏・幸福を手に入れた。が、それだけではどうも足りないらしい。
日常的に頭を働かせているためには、どうやっても埋め合わせることのない欲望が必要だ。それに常に向かっていくことが必要だ。
その欲望を設定し、そこに向かうことが必要だ。
死ぬまで達成されることがなく、よって永遠に考えつづけていけるようなモチベーションとなると欲望。しかし前進することによって日々適度な満足を感じられるような欲望。
それをちゃんと意識することにより、僕は起床していけるのだと思う。
欲しいものを明確にしなければならない。より具体的にしなければならない。
それと同時に、どうやっても手の届かない、遠くを欲望しなければならない。
具体的だが不可能である、そんな欲望でなければならない。
そのスイッチの入れ方はまだよくわかっていないが、日々そこに向かっていこうとしている自分がいる。
ひとつわかっていることは「まっすぐに感情を表現する必要がある」ということだ。これは間違いない。
僕には自分の感情を抑圧するクセがある。それではダメだ。抑圧された感情が呪いとなり、そこに囚われてしまい前に進めない。
その感情がどんなものであろうと、それを言葉にすることが大切だ。人間は言葉で出来ている。僕は言葉がないと何もわからない。
雰囲気で何かをこなしてはならない。すべて言葉にして、感情を表現して、構造的な理解をしなければならない。
感情をまっすぐに表現する。それが良き起床につながり、良き人生につながるんだろう。
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