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動画もいいけど、テキストは必要。

ブログはオワコン、これからは動画。

何てことがいわれるようになってしばらく経ちますが、実際YouTubeをはじめとした動画コンテンツがどんどん増え、知りたいことも動画だけでも調べることができるでしょう。

ワタシもコロナで時間ができたことがきっかけで、このnoteを再開したり、動画編集をやってみたりしつつ、この状況になる前はあまり見ていなかったYouTubeを見るようになりました。

YouTubeで興味を持ったこと調べると何でも出てくるんですねぇ。
いわゆるビジネス系YouTuberの動画もいろいろ見ましたし、動画編集、画像編集も見ました。
ドラクエウォーク攻略とかも見ましたし、野球はもちろん、日本酒のチャンネルも意外とあったり。

今はYouTubeをはじめとした動画コンテンツで何でも学ぶこともできますね。


ただ、このふた月ほど自分の興味ある動画をいろいろ見ましたが、見ているうちに、「動画」って受動的なコンテンツだな、と思いまして。
あまり後に残らない感じがしませんか?

もちろん全てが、とは言いませんが。

もちろん自分で興味あるものや人を選んで見てはいます。
ただ選んでしまうと、ただその動画を流れるままに見てしまっている自分がいたり。
YouTubeマジックでその流れで関連動画をダラダラと見てしまったり、何なら寝落ちてしまっている時もありますからね。

例えば動画編集講座のような、動画を見ながら同時に手を動かすようなコンテンツは別にしても、興味だけでなんとなく見た動画ってあまり残らないなぁと感じたわけです。

こうなるとなんとなく流れているテレビとあまり変わりません。

一方テキストも興味あるものを見に行くわけですが、まず自分が読まないとはじまりません。
だから少し読んで興味なければ読むことを止めます。

ネットの記事やブログだと、関連記事のようなものも出てきますが、動画のようにダラダラっと見てしまうことってないと思うのですよね。
一昔前でいうテキストでの「ネットサーフィン」て動画コンテンツの充実とともに必要以上にしなくなったように思います。

そう、必要以上にしなくなったと思うのです。

テキストは、自分で読まないといけなくて、必要なければ読むことはない。

全てに自分の意思ありきのメディアじゃありませんか。

情報を得たいと思えば、いくらでも好きなだけ得ることができる今。
それを動画コンテンツで楽に見ることも可能です。
でもなんとなく見てしまうと後にあまり残らない気がします。

本当に必要な情報を見つけるためにはまだまだテキストって重要な存在だなと感じました。

これ感じたの、気になったことをそういえばどうだったっけ?と改めて見直す時。
見直すために探すのって圧倒的にテキストの方が多い気がします。


そう考えてみると、まだまだテキストコンテンツも捨てたもんじゃないなぁと思うのです。
動画の需要もまだまだこれから伸びるでしょうけど、テキストも同様になくなることはないでしょう。

動画もテキストも残っていくものですが、テキストは後から修正もしやすいですよね。

そう考えると、手段としての動画、手段としてのブログはまだまだこれからも残っていくでしょう。
むしろ感度の高い人や効率重視の人ほど、テキストよりになっていくのかなぁと思ったり。


動画もいいけどほどほどに。

自分に必要な情報を取捨選択できるよう、流されずにいきましょう。

というワタシ自身への戒めと気づきでした。


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