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「読み手である子どもを信頼する」について考える

大人向け絵本と普通の絵本の違いはなにか。
ぱっと挙げてみるとこんな感じでしょうか。

・恋愛がテーマ
・高度な知識(政治・経済とか)が必要とされる内容
・複雑なストーリー展開、入れ子構造、時間の前後
・抽象的な話題
・老い、死、孤独といったテーマ

どうです?違和感ないですかね。

これらは子どもには伝わりにくく、関心も得られない・・・
だから絵本向けではないよね、、と、絵本にしたとしても「大人向け」というラベルを付ける。

これについて本当にそうなのか?ということを考えてみたいと思います。


・・・まぁこういうフリをしているってことは「そうじゃないよ」になると思っているとおもうのですけどw
(実際そうだし♪)


子どもに伝わらない絵本も多い

はい。
難しい言葉を使ったり、心の機微を扱ったりしたものは、あまりヒットしません。作った側が狙った面白さが伝わらないんですよね。。
うちの子しかり、お友達も。
また読んで!とかの、二度目がなかったりしますね。

ただ、そういう絵本は子どもに向かないとバッサリ切っていいかというところです。
たとえば子どもがお話自体はあまりピンとこなかったけど、絵がすごく気に入った。とか、言葉のリズムがハマったとか。
ストーリーやテーマ以外に引っかかるものがあるかもしれません。

これはこれで子どもには大事なことでしょう。

子どもとはどのような存在か

一方で、子どもに真正面から大人にも通用するような絵本をぶつけてみよう!という考え方があります。
これが「子どもを信頼する」という言葉になるようです。

さて、その「信頼」に足る存在とされる「子ども」。
彼ら彼女らはどのような存在でしょうか。

一般的には子どもと大人は、人間という種の異なる発展段階を表しているといえるでしょう。
子どもは段階としては手前の方。
大人が先に進んだほう。

先に進んだ方のほうが、様々な経験をしており、それに伴い知識も得ています。体も大きくなり、社会的扱いも変化してゆき、幅も広がります。

子どもはそうじゃない。経験がありません。知識が大人に比べて少ない。

子どもは、人間の初期段階ともいえる原始的で純粋な形態ともいえかもしれません。その上に大人は経験という厚みを増していく。

変化していくわけではなく厚みを増していくわけです。

ということは、どちらも人間の本質とプリミティブな部分を内包していますね。

つまり中心は一緒。


人間の種としての本質とも言える中心部分は子どもも大人も一緒になる、、はず。ここらへんはわたくしの勝手な主張がだいぶ混じってますが、共感していただけると思っています。


すると、人間としての根源的なもの、例えば感情や感覚などは大人向けと思われても実は子どもに通じているかもしれません。

ここを「信頼」する。

一見大人向けだと思われる話でも、この人間の種としての中心部分を扱うものであれば、信頼してチャレンジしてみる価値はある・・・


こんな考え方を今回ご提示してみたいと思いました。


以下は、メンバーシップ向け。もうちょっと記述します。

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