ENHYPENの“よげんの書” ── Let Me In[青]
今さら?
と言われるかもしれないが、思うところがあり今回はレミインについて振り返ってみる。
デビュー曲『Given-Taken』の後続曲として発表された『Let Me In』は、少し特殊な位置付けにある歌のような気がしていた。
表向きはラブソングだが、妙に寒気を感じさせる歌詞。MVのクレジットにDARK MOONの表記はなく、どこの世界線だか分からない舞台に謎のメタファーが次々と現れる。
やがてある時から、この曲はENHYPENにとって“よげんの書”のようなものではないかと考えるようになった。(←平仮名なのは単にマンガの影響)
第一章的な区切りを見た時、レミインに関してもある程度の腑落ち感があったので、今回はそれをまとめようと思う。
ちなみに前記事『デミアンと防弾少年団』の話も関係あるのでよろしかったらぜひご一読を✨
(※本記事の内容は個人的な解釈を含みます)
2人の「僕」
ENHYPENはアルバムの中に、その時々の正直な心情を込めるという。彼らのファーストシーズンである『BORDER』『DIMENSION』シリーズ4作で綴られたのは、
無垢で従順だった彼らが、自分を取り巻く世界に疑問を抱くようになり、殻を破って自分らしく生き始める
という心の旅だった。
芸能界という環境でではあるが、彼らの歩んだその道のりは本質的な部分で多くの若者が経験することと変わらない。成長しようとする少年が必ず通る道と言えるかもしれない。
かつてBTSがそうしたように、ENHYPENもそんな時期をヘッセの小説『デミアン』になぞらえた。1人の少年が自己確立していく過程を描いた物語だ。
主人公の少年は、キリスト教の道徳観や大人の教えに従うことを「明るい世界(善)」、そこから外れることを「暗い世界(悪)」と呼んだ。だが友人デミアンの導きで自分の中に悪を認め、ふたつの世界を統合させていく。
誰の中にも相反する2人の自分がいる。片方が正しく、もう片方が間違いということはない。光と影の両面を認めてこそ、人はより豊かな存在へと成長するのだから。
こうしてイプニは世界を破壊し、自分たちを縛ってきた線(レール、枠組み、境界)を断ち切った。そして『MANIFESTO:Day1』では、自らの手でカラフルな新しい線を引き始めたのだ。
と、軽くおさらいしたところでクエスチョン。
そんな一連の流れを、私たちはすでにどこかで目にしていなかっただろうか?
そう、『Let Me In』のMVにはどうやら性格の違いそうな青イプニと赤イプニが登場する。そしてよく観察してみると、彼らはジレンマを経て覚醒し、世界の殻を壊す…という手順をきっちり踏んでいた。
青と赤
『Let Me In』のMVで目につく特徴のひとつは青と赤の対比だ。これ以降、私たちは『Drunk-Dazed』などのMVをはじめ様々な場面で青と赤のせめぎ合いを見ることになったが、ふたつの色は結局何を象徴していたのだろう。
レミインの歌詞を要約するとこんな感じ。
四角い小さな城の中に青く輝く"君"がいる。
歌の主はその子をNemo(ニモ)と呼び、
「僕を中に入れて」と誘惑する。
"僕"が入れば"君"は傷つき、完璧だった世界は壊れるかもしれない。
でも、たとえ青が赤に変わっても、苦痛の中に喜びが生まれるのだと…
どうやら歌の主である"僕"は、青く輝く"君"の世界に入り込んで赤く染めようとしているらしい。
歌詞を読むと、どうもこの歌の主は例の小説の登場人物、無垢な主人公に近づくデミアンを彷彿とさせる。
それは善なる世界を揺るがす悪。眠っている自分を起こしにきたもう1人の自分だ。
『デミアン』の表現で言うと青は「善」、赤は「悪」ということになる。だがそれは大人の都合に合わせた善と悪。こんなふうに言い換えることもできそうだ。
青(善)=従順、自我が眠っている状態
赤(悪)=奔放、自我が覚醒している状態
手がかりとして再びBTSの例を取り上げたい。
前回の記事で触れたが、BTSも『WINGS』の時代(2016~2017)に青と赤の葛藤を繰り広げている。まさに『デミアン』をモチーフにしていた時期だ。
このMVではヒョンラインが青、マンネラインが赤の立ち位置にある。たとえ傷つこうとも真実に向き合おうとするマンネラインを、ヒョンラインが甘やかし邪魔しているのだ。
つまり、青と赤はこんな対立構造をとっている。
青=自分を偽り、真実から目を逸らす色
赤=辛くとも真実を直視しようとする色
これこそ映画『マトリックス』から生まれた英語のスラング、レッドピル(赤い錠剤)orブルーピル(青い錠剤)のジレンマ。
ブルーピルを飲めば青(善)=自我が眠っている状態になり、幻想の中で悩まずに生きていける。レッドピルを飲めば赤(悪)=自我が覚醒した状態になり、傷つくかもしれないが真実を知ることができる。
このMVではとくにリンゴが明確にレッドピルの役割を果たしているようだ。
ここでちょっと思い出してみよう。そういえばレミインにもそれと思しきアイテムが登場していなかっただろうか。
デビュー当時、いやI-LAND当初からずっと善い子であり続けたENHYPEN。そうして彼らは成功を手にしたが、知らないうちに大切な何かを犠牲にしていたのではないだろうか。
そう気づいた彼らは、『Blessed-Cursed』で「ブルーピルを飲んだように盲目」だったと過去を切り捨てている。
レミインMVの結末はそんな未来をたしかに予告していた。一度は青い飲み物を手にしたソヌが最終的にグラスを捨てるのは、彼らが真実に気づく道を選択するからだ。
20センチ四方の城
副題の「20CUBE」については、当時の報道が
“憧れる新しい世界を20平方センチメートルの立方体の水槽にたとえた”(ORICON NEWS)
などと伝えていたが、それもよく分からなかった。なぜ水槽なんだろう。それも20センチ四方という異様に小さい世界が「憧れ」とは?
水槽というのは比喩で、実は別のキューブを意味してるのではないかと考えたりもした。I-LANDの卵が入った箱とか、ルービックキューブとか。
だが、“青く輝く君”がブルーピルで眠っている状態の彼らだと仮定したらしっくりきた。これはたしかに20センチ四方の水槽かもしれない。
20×20センチ前後の水槽はコンパクトでインテリアに取り入れやすいが、小さいが故に水質管理が難しく、飼育できる魚の種類も限られてしまう。その中でとくに扱いやすさ、見た目の華やかさでポピュラーなのがベタである。
過去には空中を浮遊する神秘的な描写でBTS、TXTの世界に登場しているため、この魚のことが気になっていた人も多いと思う。
ベタはその美しい姿とは裏腹に気性が荒く、オス同士は激しく争う習性を持つ。だから小さな水槽に1匹ずつ入れて飼うしかない。
これらの映像に出てくるベタは、傷つきやすい若者、あるいはアイドルとしての彼らの孤独な心の投影なのだろうか。
さて、そんなベタがENHYPENの世界に現れたのは2022年3月のことだ。
しかし日本のアルバム『DIMENSION:閃光』のムードボードとして登場したその姿は、両先輩のものとずいぶん様子が違っていた。
え、
なんでこんなに真っ青で作り物っぽいの?笑
機械音のせいでますますゼンマイ仕掛けに見えるんだけど?
あと背景の模様はジョンウォンの服とオソロ?
(ソンドゥク先生じゃないよね←)
なんてことをうっすら感じたが、理由などわかるはずもない。そのままつい最近まで完っ全に忘れ去っていた。
で、新章に突入した今、改めて振り返りこんなふうに理解している。
これはレミインの“青く輝く君”(※GLEAMは「きらきら光る」の意)、すなわちまだ目覚めていない青イプニの姿だったのではないかと。
ベタは闘魚、観賞魚としての対極的な面を持っている。
オス同士は相手を再起不能にするまで闘うため、原産地タイでは賭けの対象になるほどだ。
だが一方では、その美しさに魅せられた愛好家が世界中でコンテストを開いている。
闘魚としてはより闘争性を、観賞魚としてはより優美さが求められ、それぞれに品種改良が重ねられるベタ。フレアリングという威嚇行動で血流が良くなり、美しさがさらに磨かれるというのがなんだか悲しい。まるで闘うことで美しくなり、また闘わされるアイドルのようだ。
そしてそんな芸能界でブルーピルを飲んだ若者は、孤独な水槽を完璧な城と思い込んだ機械仕掛けのベタになるのかもしれない。
そういえばもうひとつ気になっていたことがある。売り場に並んだベタはよく蓋をした小さな瓶に入れられていて、苦しくないのかなといつも不思議に思っていたのだ。
今回調べてみて、彼らの体が酸素不足に耐える特殊な作りになっていると知った。
それからというもの、『Let Me In』MV冒頭の10秒間が切ない。青イプニの少し苦しげな息遣いに、きゅうっと胸が締め付けられるようになった。
名前のない幽霊
そんなふうに考えていくと、青イプニがビニールシートを被ったりガラスのショーケースに閉じ込められたりしている描写にも合点がいく。
ビニールシートを被った彼らはこれからホールに運ばれる展示品のようにも見えるし、魂の抜け殻のようでもある。これが抜け殻なら、ショーケースに入っている方は魂かもしれない。
いずれにせよ、どちらも生きていない。青イプニは魂を持たない幽霊のような状態と言える。
2020-2021年版のMemoriesにはレミイン撮影現場の様子が収録されているが、そこでメンバーの覗き込む穴が墓であることが明かされていた。
となると、墓の中にいるのは青イプニだ。上から見下ろす彼らが冷めた表情なのは、そんな自分の姿を客観的に見てしまったからだろうか。
l-LANDでの苦しい日々を耐え抜いた彼らは、『BORDER』〜『DIMENSION』期の様々な経験を通して気づいた。自分たちがまだ本当の意味で自由に自分の人生を生きていなかったと。
そして青いピルを捨て、傷つくことを覚悟の上で自分らしく生き始めた…というわけだ。
ところで、幽霊、魂といえば…
ENHYPENはそもそも幽霊にまつわるコンテンツがとても多い。中でも、個人的にはとくにDIMENSIONシーズンで死、幽霊、魂のイメージを繰り返し見た印象がある。
(→過去記事『生と死とジレンマのENHYPEN(前編)』参照)
そういや心霊写真騒動なんてのもありましたな…あれは仕込みです(←断言)
今にしてみると、これはまだ魂(この場合自我という意味に近い)のない青イプニ時代を仄めかしたメッセージだったのかなと思う。
実は彼らのそんな様子を見ていた時、ある演説がちらちらと脳裏に蘇っていたのだが、今や両者がしっかりコネクトしたので紹介してみたい。
それは2018年にBTSが初めて国連総会で行った伝説のスピーチ。RMが語ったこの言葉だ。
なんと、これは青イプニの話ではないか。
そして名前を失った幽霊という言葉が、レミインのNemo(ニモ)のイメージに重なってくる。
「Nemo」はラテン語でNobody(誰も〜ない)にあたる単語だ。『ファインディング・ニモ』のニモも、その名の由来である小説『海底二万里』のネモ船長(Captain Nemo)の名も、もとを辿ればそこに行き着く。
名前を失った幽霊、それはまだ何者にもなっていない者、あるいはまだ存在していない存在…そんなふうに言い換えられるのではなかろうか。
箱の中の残酷なルールに従ってきたENHYPEN。自由を制限され、無数のカメラで監視され、点数で価値を計られても「世界はそういうものか」と受け入れるしかなかったあの幼い少年たち。
無条件に大人たちのルールやセオリーに従う善い子であり続けた、それが彼らの青イプニ時代だ。
そしてそんな青イプニ/Nemo/名前を失った幽霊は世界中にいる。
つまり青イプニの正体とは、抑圧されて自我(魂)が眠った状態にある若者すべてのこと。
彼らは自分たちの苦悩や葛藤を歌いながら、同世代の若者へメッセージを送っていたのだ。
RMはこのくだりのあと、美しい言葉で“失敗は恐れるものではない”と教えてくれている。
そしてこうも続ける。
このスピーチを知らないENGENEには、いや知っている人もこの機会にぜひもう一度、全文に目を通してもらえたらいいなと思う。
なぜなら、もしENHYPENがBTSから何かを継承するとすれば──
それはきっとスタイルやステイタスなんかじゃない。このスピーチに語られた彼らの思いそのものに違いないと思うからなのだ。
お次は 👉
『ENHYPENの“よげんの書” ──
Let Me In Let Me In[赤]』
★お付き合いくださりありがとうございました
♡して頂けたらエナみくじが引けます♪
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?