lainから醒めて、またlainが好きになる話

唐突ではあるが、あなたはTEXHONLYZEという作品をご存知だろうか。
messa storeのlain公開25周年記念アパレルとともに、本作品も20周年記念アパレルが販売されているので、そこから知った人もいるのではないだろうか。TEXHNOLYZEは、lainを制作した主要スタッフ(上田プロデューサー、小中氏、安倍氏)が再結成して作られた、しかしその作品の独自性から認知度が低い作品である。
アドベントカレンダー2日目に記事を投稿している石林グミさんは、そんな今作の狂信的ファンであり、本作の同人誌の作成活動にいそしんでいる。同人誌、というには憚れるほど内容が濃く、また持ち前の実現力を惜しみなく発揮しており、前述の主要スタッフや監督、はたまた参加声優や背景作家へのインタビューなど、非公式ながら公式本のような内容になっている。
そんなグミさんに「TEXHNOLYZEが好きなら、ちょっと手伝ってくれん?」と言われたならば「ハイ、ヨロコンデー!」としか返しようが無いのである。
そして参加してみてふと疑問が浮かび上がってきた。
実はlainもTEXHNOLYZEもさして好きでは無いのではないか、と。

lainとの出会いは、既に2年ほど前に投稿しているのだが、ちょうど中学2年生の頃に遡る。オープニングの衝撃的な演出に、boaのうっすら退廃的な音楽とインターネット空間の表現。今の安倍氏とは少し雰囲気の違う、ドロっとした何かを感じさせるイラストに、物語の方向性がよくわからず沼をかき分けるような小中氏のシナリオ、そして思考を邪魔するかのように入り続けるノイズ音。
物事は初めて体験する衝撃をベースに構築されていくとは思うが、サブカルチャーの入り口となった本作から受けた衝撃は、既に自身の遺伝子レベルまで浸透しているといっても過言では無い。それほどまでに揺さぶられたのだ。
そこから先はずぶずぶと足掻けば足掻くほどに沈んでいく蟻地獄がごとく、紀伊國屋書店サンノゼ店になぜか1冊だけ在庫されていたomnipresence in wiredを購入したり、コミコンに行ってlainグッズを介さったり、はたまた安倍氏を切り口としてNiea_7や灰羽連盟に触れたり……と、思いつく限りのオタクムーブを実行してきた。
あとは学校の文集の自己紹介ページで「目指せケーブル10万本」をやろうとした記憶もあるが、現物はもう無いし、実はやっていなかった可能性もある。むしろやっていなかったことにしておきたい。
時は流れて大学生となったあともlainがきっかけとなった安倍氏に対する関心は常に高く、コミティアで既刊新刊を買うとともにスケブを依頼したり、奥様にあたるYukalyさんのコンヒヨシリーズを集めたり、と機会があれば何かと行動していたのである。
つい最近ではYukalyさんに塊アート x 似顔絵を書いていただく機会もあり、ひたすらに好きなものに対して爆進している。
果てにはlainが好きというきっかけで出会ったTEXHNOLYZEの20周年記念誌のお手伝いもするという、20年前の自分では想像もつかないような場所にいま立っている。

いま手伝っている内容としては、主に邦文の英訳作業である。制作スタッフの対談や、監督へのインタビューを、一部機械翻訳を用いながらも、咀嚼して再構成していく作業である。ただたんに文章を読み楽しむのではなく、どういったニュアンスで発言しているのか、その発言の背景は何にあたるのか、を理解して進める必要があるため、どうしても文章は読み込まざるを得ない。読み込めば読み込むほど、実はTEXHNOLYZEの知らない側面が見えてきて、「よし、もう一度見るか」という気持ちになっていく。
と、ともに自身の作品に対する解像度の低さが明らかになってしまい、ふと思うのだ。
本当にTEXHNOLYZEが好きといえるのか?

一度こんな疑問が浮かぶと連鎖的に関連付く作品や内容にエスカレーションされていき、原体験へとたどり着いてしまうわけである。
僕は、本当にlainが好きといえるのか?

関連書籍を買っていた以上は、omnipresenceもscenario experimentsも小口が手垢で真っ黒になるほど読み込んでいる。「あのイラスト」とふと見たい作品があっても、手がページ数を覚えているため、検索にさして時間はかからない。
PS版lainは既にプレミアム価格となっていたため手が出せず履修できていないが、それは多くのlainファンがそうであろうからお目溢し頂きたいところである。
だが、TEXHONLYZEでそうであったように、lainを切り口とした場合には画集とシナリオ、つまり安倍氏と小中氏以外の解像度が低いどころか存在しないのである。
lainの監督は? lainの楽曲制作は? スタジオは? 配給は?
好きだ好きだといいつつも、実は視覚的・聴覚的に映像とシナリオを楽しむ、いわば上っ面だけを浅いところで楽しんでいただけのライト勢だったのだ。むしろlainという作品ではなく、安倍氏のファンというところに留まっていたのだ。
井の中の蛙とはよく言ったもので、つい最近になるまでlainコミュニティとの交流がさしてなかった。そんな立ち位置だから好きなんだ、と胸を張れたものだが、近年のlainコミュニティの活性化を見るにあたり、やはり乗り切れない部分が多くある。
おそらく、lainが好きではないから、だろう。

lainアドベントカレンダーの3日目にしてこんな文章を投稿することは後ろ髪を引かれるし、何なら今でも「ALL RESET」「RETURN」しちゃってもいいよね、って気分でいる。
同じような気持ちを抱えている人の救いになれば、もしくは好きのベクトルは多少ずれていても大丈夫なんだ、lainのすべてを好きである必要が無いんだ、という気持ちになれば幸いです。

でもさ、こんな気持ちを抱えていても、やっぱり「一番好きな作品は?」と問われたらlainとした答えようが無いんだよ。
明日からはもっとこの作品が好きになっていく自分が見えるんだ。

lainを好きになりましょう。lainを好きになりまlainを好きになりlainをlainをレレレ


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