エースの矜持 9/14 ●1-3

野球において「流れ」は存在するかという議論はしばしば行われる。私は流れは存在すると思っている。おじさん集団の草野球レベルではあるが、実際にプレイヤーとしてグラウンドに立っていた身からしたら、流れを否定することはできない。

ところがこの流れを可視化、数値化することは難しく、流れを証明することは知る限りできていない。流れは「感じ取る」ものである。

試合に目を向けると、1-0でリードしている最終回の先頭打者に四球を与え、送りバントの処理を失敗したところから流れがアストライアに傾いたという論調で言われることだろう。
流れが傾いたのはどこだったのか。それは7回ではないと個人的には感じている。

最終回以前に試合が大きく動いたのは5回の表だった。アストライアが作った一死満塁のチャンスは、それまで三塁を踏ませぬ好投の里から作ったものに失策が絡んだものだけにスタンド全体が盛り上がった。来場者に配布された「バンバンスティック」もそれを後押しした。

結果、この回里は完璧な内容で田口真奈、中田を打ち取ると、6回も三者凡退に抑えたのだが、ディオーネ打線も5回、6回は三者凡退に抑えられていた。アストライアが作った流れを硬直させたまま、最終回に突入した形になる。

その流れを一切手繰り寄せた訳でもなく、先頭打者の出塁という形で一度傾いたものの固まった流れが「解凍」された瞬間だった。バント処理に失策が生まれた時、勝利の女神はアストライアに味方した。

ディオーネの打席で場内SEが悉く間違えられるという嫌な外的要因もあった。しかし、5回以降一つもディオーネに出塁、得点圏というシーンが無くては流れを手繰り寄せられない。それは世界最高峰の投手である里が6回を完璧に抑えたとしてでも難しいものだ。

試合後にエースは1人、外野フェンスを沿うように歩いていた。ディオーネが得点した2回、岩見のスリーベースでベンチから勢いよく飛び出してチームを活気付けたのは他ならぬ里だった。1人歩いている中で頭の中では色んなことが渦巻いていたであろう。


大丈夫だ、大丈夫、大丈夫。


エースの目は死んでいない、まだまだ燃え上がっているのだから。



その強い気持ちこそが世界の、日本の、愛知ディオーネのエースの矜持だ。

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