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自動運転ソフトウェアを国が審査? - 宗教的にじゃなく、サイエンス的に考えればよいという話

データを使ったサイエンスな思考法であるアナリティカル・シンキングこそが、今日の不確実な世界の問題解決に最も求められるスキルだ。

最近、日本で国が自動運転に関するソフトウェアの修正パッチを検査するというニュースが出てましたが、私のツイッターのタイムラインでも盛り上がってました。

ツイート見てたら賛成と反対の立場での反応は以下の2つに集約できそうです。

賛成:人の命がかかってる、公道走るんだから、国が検査するのは当たり前。
反対:政府にソフトウェア、特にAIをスピーディに検査できるわけがない。

これは、普通に考えたらどっちも論理的には正しいので、このまま進んでも終わりのない議論になると思います。

なぜなら、実はこれ、宗教とサイエンスの間の論争になるからです。

前提:

宗教:絶対的な答えがある。それを保証する絶対的な力があると信じる。
サイエンス:現実は絶対(完全)ではない。間違いがあるのは当たり前。

間違っていた場合:

宗教:うまく解釈をあたえるので、間違いは起こっていないことになる。(それでも起こってたらそれは信者のせい。)
サイエンス:間違いを発見し修正しながら前に進む。


で、車の自動運転のソフトウェアの検査の場合、どうなるかというと。

宗教:事故の可能性があるんだから、神(国)が完璧に検査するべき。
サイエンス:事故の可能性があるんだから、すばやく修正できる仕組みを作り、市場の力で間違いがより少ないものが残っていくようにするべき。

ここでは、安全性に対する認識も違う。

宗教:絶対なので、1%の間違いも許せない。
サイエンス:確率なので、1%くらいは間違うでしょ。
(1%は例です。)

この根本的なところでの考え方が違うので、議論がかみあわなくなります。

もちろん、安全性に関しては様々な視点から議論を重ねていくのは必要だと思います。しかし、ここで重要なのは「安全性を高めていく」ということであり、「絶対的な安全性を保証する」ということではないと思います。

実際に現在でも車の死亡事故だけでも年に3,500件、交通事故件数に関しては43万件(2018年、日本、警察庁発表資料より)もあるわけですから、そもそも「絶対的な安全」などという神話は現実の世界には存在しないわけです。

そして、「自動運転」というのは、「人間運転」よりも安全性を高くすることができるという文脈の中での話だという感覚を持つのは重要だと思います。

そこで、自動運転の「安全性を高めていく」ことを目的とすると、サイエンス的な考え方こそ問題の解決に役立ちます。

サイエンス的な考え方とは

それではサイエンス的な考え方とは、ハイレベルでまとめると以下のようになると思います。

まずは、「間違っているかもしれない」を前提とする。

そこで全ての意見は「仮説」だと考える。

「仮説」が正しいかどうかを判断するための指標を前もって決める。後から「実は、、」と言い出すような、後出しジャンケンはだめですね。

「仮説」が正しいかどうかを実世界に近い状態の環境でテストする。

間違っていたらその原因をつきとめ、修正する。

あっていたならば、実世界に施策やリリースとして展開する。

もちろん、こうした施策も「間違っている」かもしれないのだから、その成果をモニターする。

この「間違っている」かもしれない、もしくは「正しいかもしれない」というのを確率的に考え、そのときのリスクを計算し、さらにその時点で「わかっていないこと(Uncertainty)」があるということを理解した上で施策を打つための意思決定を行っていくことで、この完全でない現実の世界で、前に向かって進んでいくことができるようになります。

ロジカルシンキングはサイエンスとは違う

ここでもう一度、宗教的な考え方とサイエンス的な考え方を比べてみましょう。

前提:

宗教:絶対的な答えがある。それを保証する絶対的な力があると信じる。
サイエンス:現実は完全ではない。間違いがあるのは当たり前。

間違ってた場合:

宗教:うまく後になってから解釈をあたえるので、間違いはおこらない。(起こってなかったことにする)
サイエンス:間違いを発見し修正しながら前に進む。

どちらもロジカル・シンキングを使うので、普通に聞いてると両方正しく聞こえます。例えば、キリスト教の神父や仏教の僧侶の話を聞くと、なぜかもっともらしく聞こえてしまうのは、彼らの議論はロジカルだからです。

ところで、そうしたロジカルな議論を聞いていたがために、われわれ人類は長い間、天動説を信じていました。

それを破って、サイエンス的な思考法を持って地動説を証明することになったのが、ガリレオ・ガリレイですが、残念ながら彼は、当時の宗教的な考え方をすることしかできないカトリック教会によって牢屋に入れられてしまいます。

サイエンス的な思考法が宗教的な思考法と決定的に違うのは、宗教的な思考法は、答えが最初にあるので、あとは現実の世界を答えに合わせようとします。

これを、宗教的な「解釈」といいます。

サイエンスは間違いを現実の世界から客観的に認め、なぜ「間違っていたのか」を現実の世界から学び、改善していくということを目的とします。

ところで、もうすでに気づいたかもしれませんが、ここで決定的に重要になってくるのが、データなのです。

データを使うから改善できる

“Without data you’re just another person with an opinion.”

データがなければ、あなたが言うのはただの意見だ。

by エドワード・デミング

間違っているかいないかを客観的に判断するためには、データが必要です。

間違っていた場合、なぜ間違っていたのかを客観的に理解するにも、データが必要です。

新しい「施策」という仮説が正しいのか間違っているのかをモニターするにはデータをとり続ける必要があります。

データを使って間違いにきづき、データを使って修正方法を学び、試す。このプロセスを何回も繰り返すのがサイエンスで、このプロセスを経ることで人類は「啓蒙思想」以降過去400年もの間劇的に進化していくことができたのです。

アナリティカル・シンキング

現在このデータを使ったサイエンス的な手法でビジネスを急成長させ、世界を飲み込み続けているのがシリコンバレーのスタートアップです。

自動運転の世界であれば、シリコンバレーのTeslaやGoogleです。

それでは、この「データを使ったサイエンス的な手法」とはいったいどんなものなのでしょう。

長年私達が一緒に仕事をしてきたシリコンバレーのデータ先進企業に共通しているのは、以下のような、大きく分けて6つのステップからなるデータを使ったビジネス改善のためのプロセスです。

これは、私達がアナリティカル・シンキングとよんでいるものですが、データを使ってビジネスの問題を解決、またはビジネスを改善していくために、私達がフレームワークとして定義したものです。

話を自動運転にもどすと、ここでは「安全性を高めていく」ことが問題であって、「安全」かどうかを問題にしているのではありません。

そして「安全性を高めていく」ためには、まず現状がどうなっているのかをデータを使って理解し(現状認識)、何が「安全性を高める」ことに役立つのかの仮説を構築し(分析)、そうした仮説を検証し(テスト)、そこから何が正しく、何が間違っていたのか、なぜ間違っていたのかを理解し(学び)、そして実際の車にソフトウェアのアップデートとしてリリースし、その成果をモニターする(アクション)ということになります。

そして、こうしたステップは一度やって終わりではなく、何度も繰り返し回していくことで、どんどんと改善していくことができるのです。

このサイクルを高速で回しながら急成長しているのがシリコンバレーのスタートアップです。

こうした視点から、国ができるサポートや規制とは何が適切なのかといった議論がもっと活発にされていけばよいのではと思います。少なくともこのサイクルを高速で回せないような仕組みを作ることだけは避けてほしいと思います。

アメリカ、特にシリコンバレーでは自動運転の時代はすでにはじまっています。未来のことではなく、今日のことです。

日本の自動車業界がデータとAIの波に飲み込まれてしまう前に残された時間はあまりありません。

宗教的な考えで無駄な規制を使って抵抗するという「守り」の姿勢から、データを使ったサイエンス的な手法、つまりアナリティカル・シンキングでデータとAIの波を乗りこなすという「攻め」の姿勢こそが、今の日本に必要なことだと思います。

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