木村花さんの御母堂を見るに堪えない。

2020年5月、テラスハウスに出演していた木村花さんがSNS上での誹謗中傷をきっかけに自殺した。
木村花さんの御母堂木村響子さんは、直後からSNSでの誹謗中傷抑制の啓蒙に勤しまれてきた。
そして先日、放映のフジテレビに対して、「真摯な対応がなされなかった」として1億4千万円の提訴をしたという報があった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ba134794189eb1ac18ca1851e8d53f53ae0a3fc1

正直に申し上げて、見るに堪えないと思った。
確かにご母堂の仰るとおり、テラスハウスは無用に出演者の悪性質を詳らかにすることで視聴者を煽り、炎上を誘い出演者への誹謗中傷を招来する過剰な演出はあった。それは視聴者の一人として事実だったろうと感じる。

しかしそれこそが出演者の求めていたもの、「そのもの」だったのではないか。
木村花さんも出演するにあたってこれまでのシリーズがそういう炎上や物議を招来するものであったことは重々承知していたはずだ。しかし、だから良かったのだ。
その辺の道行く一般の若い男女に「テラスハウスとかバチェラーとかに出演してみたいですか?」と訊けば十中八九難色を示すだろう。
そういうバラエティショーに出て自分の顔を晒し、時には生活風景のような通常他人に見せることのないプライベートな部分まで世界に発信しようとする人間は、そもそも「普通」ではない。
しかし十中八九難色を示すとしても、十中一二は必ず「是非とも出演してみたい」という若者はいるだろう。
理由は明らかで、そうして自分を曝露することで承認を得、或いはその先にマネタイズを企む人間が一定数いるからだ。
通常、無名の人間の色恋沙汰なんて犬も食わない。何のバリューもない。しかし「テラスハウス」というフィルターを通すことで、本来誰の注目も浴びないはずだった人間の存在に大幅なレバレッジがかかり、耳目を集めることになる。
実際、テラスハウスに出演するまで、女子プロレスなんていうニッチなカテゴリにいた木村花さんのことを我々の多くが知ることはなかったはずだ。

勿論、集めるのは称賛だけではない。必ず誹謗中傷も招来することになる。そういう悪名やリスクも込みでのレバレッジなのだ。
当然のことながら、芸能人やタレントにとどまらず、政治家や小説家、実業家等、人前に立つ者には必ず微に入り細に入り批判する者がいる。
人前に立ち、何かを表現し続け、他人の批判の目に晒されることに耐えるには、非常に硬い「業の器」が必要だ。自分の身の丈を超える野望と、その道程に待ち受ける困難に耐える心身の器のことだ。
通常、一般人はそんな器の持ち主ではない。ちょっとSNSで炎上したら気がおかしくなってしまうのが通常だ。
だから普通の一般人は政治に不満があっても政治家になることに躊躇をするし、素晴らしい容姿を持っていても他人に晒して無用の名声を得ようとしたりしない。
また稀有な業の器の持ち主でも、衆目に晒して価値のある才能を持っているとは限らない。

才能があって業の器のある人間、これは本当に少ない。
しかもその人に才能があるのか、十分な業の器の持ち主なのか、それは実際に他人の耳目に晒して試してみるまで実は判然としない。

虎穴に入らずんば虎児を得ず。とはいうものの、しかし多くの人は虎穴に入った結果、ただケガをして何も得ずに帰って来ることになる。
それがリスクを採るということであり、そのリスクが並々ならないものだから、芸能人ほか「著名である」ということに尋常ではない価値がある。

木村花さんについて申し上げるのならば、自分の器を見誤ったとしか言いようがない。
本当は小心で、他人にあれしきの批判をされたくらいで傷つくようなヤワな心であることに見なかったフリをして、虎穴に入って、虎に食われた。
しかしそれは敢えて仕方がないことだと言いたい。

私は登山をする。滑落すれば死を免れない険峻な山に挑戦することもある。バイクに乗る。老人が道を逆走して正面衝突をしたら死ぬしかない。しかし、では登山をやめて写真で満足し、バイクの代わりに車に乗ろうということにはならない。

命は大事だが、至上のものではないことを申し添えたい。自分の望んだ景色を見るために人は生きているのだと言いたい。
人には、子どもの頃は格別、成人したら、目的のために自分の命を処分する権利がある。ときに粗末に扱い、危険や困難に晒してみる権利があるはずだ。

木村花さんは子どもではない。歴とした成人した大人の女である。
彼女には仕事を選ぶ権利があった。しかしそうしなかった。
私は彼女の選択は身の丈を見誤ったものだと考えているが、彼女自身が一個人として選択したこと自体は尊重したい。結果として、死を選んだこともだ。

私には、御母堂が、自責の念から悪者を探しているように思えてならない。
女子プロレスという人前に立つ仕事、花さんにとって「向いてない仕事」を与えてしまったという自責の念だ。

しかし大人になるということは自分のしたことの結果を引き受けるということだ。まさか称賛だけ受けると思っていたわけでもあるまい。批判を受けるから称賛も受けるのだ。
そして御母堂のしていることは、ただ遣る瀬無さに身を余らせた八つ当たりであり、娘自身の選択を全否定することであり、私の娘はまだ世間の解らない子どもだったんです、と喧伝して回っているということだ。子離れ出来ていないと言わざるを得ない。大人の女に対する侮辱ではないのか。

それはさながらサラリーマンの男がお金欲しさにレバレッジを掛けた取引をして、借金まみれになり自殺したからといって母親が証券会社に怒鳴り込みに行くように。
そしてそれは、次の若者が世に出る機会を奪う行為でもある。
フジテレビに一体どんな「真摯な対応」をし得ただろうか。娘さんの望んだ耳目を集めるのに最高の舞台を用意したではないか。全て自ら望んでおきながら、耐えきれなかったのは花さんではないのか。

今の有り様を見るだに、或いはこうして娘の選択肢を奪った結果、花さんは自己肯定感を自炊できない弱い心のまま成人してしまったのではないかと勘繰りたくなる。
娘を失った御母堂の悲しみに同情はする。誹謗中傷を繰り返す者に「お前らもっとよく考えろよ」と言う、それは良かろうと思う。しかし自ら花さんの選択を否定することに私は賛成しない。
周りに御母堂を止める人は無かったのか、いたとしてもそんな言葉は届かなかったのか。
いずれにしても見るに堪えないと思う。

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