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純粋さと本質

いろんなメディアが存在する。
いろんな情報が飛び交う。
情報の正誤の判断基準って生の声を聞くのが一番手っ取り早いとは思う。

現実には人は嘘つきなのでまんま信用出来ないところもあるけれど、それでもリアルタイムで聞く生の声は一定レベル信用に足るものだと思う。

捏造って結局化けの皮が剥がれる。
メディアの目的が正しい情報の発信ではなく顧客の獲得である以上、正しい情報より目を引く情報が優先されてしまう。

そういう情報は結局フィクションでしかない。
そんなふうに思うようになってからテレビでバラエティとか情報番組を見るのが苦痛になった。


先日Netflixで見かけて「殺戮の天使」というアニメを見た。
以前娘が単行本を買っていたのでどんなだろうと思いつつ見てみた。

あとでレビューを見てみるとなかなか酷評されていた。
たしかにお世辞にも感動作品だとは言えない。泣ける話でもない。
ざっくり説明すると感情を忘れた女の子と純粋な殺人鬼が狂った世界から抜け出そうとする話。

ただ最後まで殺人鬼が純粋さをまっすぐに貫いたところにこの物語の良さがあるんだろうと思った。

目新しさも特にないけど、意味もなくテレビを見るよりはこっち見るよなぁと思える。


アニメははじめからフィクションで作り話なんだけど、その中のテーマとして純粋さやまっすぐな想いみたいなものが描かれることが多い。
たぶん僕がアニメを見る理由はそこにある。

純粋さはそのまま本質となるものだと思う。
純粋さをなくしてしまうことで人は自分の本質的な部分から遠ざかってしまう。純粋なものを覆い隠すことで本質が見えなくなってしまう。

そういうものを嘘と呼んだりするのだろう。


怒られるのが嫌だからまわりくどい言い方をする人。
トラブル報告で原因が分からないのにテキトーな理由とストーリーを作って報告する会社の風習。
よくわからない病気に対してこれこそが正しい対処法だと勝手に断定するメディア。

本質って普通にしてると絶対見えないよな、と思う。

ただ、本質が分からなくなるような物事に対して誰しも違和感を感じるものだと思う。その違和感こそが大事で、感じた違和感を忘れずに違和感の原因を突き止めていく。それが本質を見極めるってことにつながる。


違和感を曖昧にしたままにしていて、それが当たり前になってしまうと本質が見えなくても当たり前だという感覚になってしまう。
そういう感覚って面白くない。

もちろん嘘やごまかしみたいなものも有って当然のものだと思う。
ただ、ずるいだけの大人になるんじゃなく本質を追求する目をずっと持ち続けたいと思う。

尖った部分って持ち続けたいと思う。


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