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すべての事には季節があり、すべてのわざには時がある

今朝のまーちゃんのnoteを読みながら聖書にあった言葉を思い出していた。

「旧約聖書 伝道の書より」

天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生るるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、
保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、
黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。
働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。
神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。
(旧約聖書 伝道の書 第三章 一節)

昔、この言葉に触れた時にものすごい感銘を受けた。

神のなされることは皆その時にかなって美しい。

そして
「新約聖書 コリント人への第一の手紙より」

あなたがたの会った試練で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。
(コリント人への第一の手紙 第十章 十三節)

まとめると超えられないような試練は自分の前に現れることはないしそれを乗り越えるにはタイミングがある、ということ。

聖書ってやっぱり本質的なことが書かれているよなぁと思う。

それでは、素敵な一日をお過ごしください。


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