奇跡なんかないと思っている

僕は西野亮廣エンタメ研究所というオンラインサロンに入っている。
その中でざちょーに出会って#チロ公 というグループに出会う。

奇跡という言葉はあまり使いたくないが、ざちょーと出会ってチロ公ができてチロ公のメンバーと出会えたことは奇跡のような出来事だと言えるのかもしれない。

映画やドラマ、アニメ作品を見て泣くことはあっても現実に起こっていることで涙をするという事が年々無くなっていた。

でも今年、サロンに入ってチロ公に出会ってすっかり涙腺が弱くなった。
それだけ深い部分で繋がっているということなのだろうと思う。


出会ったことが奇跡なのか、出会ったから奇跡が起きたのか。
個人的には出会いは必然だと考えているので後者だと思っている。

「奇跡のような出来事」という言い方をしているけど実際はそうではないと思っている。

奇跡と言うと何もないところから降って湧いたようなものだという気がする。でも実際にはそんなことあり得ない。何もしないところには何も生まれない。

逆にもしそんなことが起こってしまったらツキの前借りみたいになってしまうから死亡フラグでも立ったんじゃないかと疑心暗鬼になるだろう。

そうではなく、大きな結果が出たということは何かしら自分の努力の結果とわずかなチャンスをものにする運があったというだけの事だと思っている。


「奇跡のような出会い」とは必然の出会いから生み出された付加価値をそう呼びたいと思っているだけなのかもしれない。


ざちょーという圧倒的な輝きを持つ恒星を起点として惑星がいくつも集まって一つの集合体、つまりチロ公を形成する。そして惑星は自転、公転をしながら自分の星のかたちを形成している。

西野さんが絵本を書くにあたってあらかじめストーリーを作ってからひとつひとつの話を書き始めたということを聞いたことがあるが、チロ公の出会いにもそれぞれ物語がある。

そして仲間にもそれぞれの物語がある。
物語をつなぎ合わせてできた集合体。
それがチロ公だと思っている。


奇跡とかいう綺麗な言葉ではかたづけることができないそれぞれの物語が存在するはずで、そこには人知れない汗と涙が隠されている。

登場人物の人生をそれぞれ別のドラマとして描いてやがて仲間たちが出会っていくようなストーリーある。

客観的に見ると人が繋がっていくことってそういうドラマだと思う。


だから奇跡なんてない。
僕はざちょーやチロをはじめチロ公メンバーそして西野亮廣エンタメ研究所のサロンメンバーさんに出会うためにこれまでの人生を送ってきた。

失敗だろうが黒歴史だろうが関係ない。
今がとても充実している。


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実は昨日、仕事でここ数年で一番きついトラブルが発生していた。
#人身事故とかじゃないよ
発生してしばらく死んだように現場の状況を見ていた。

休憩時間にTwitterを開くとざちょーからDMが来ていてなんだか元気が出て笑えるようになった。

しばらくトラブル対応に追われるけど何とか頑張れるかな(笑)


いつもながら、ざちょーの神タイミングには驚かされる相棒でした。
#それこそ奇跡やん
#ちょっとバタバタしていて1日遅れのUPです








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