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『マーケティング』という職種はとても慈愛に溢れ、とても残酷だ。そして空想的で現実的。

約7年勤めたDMM.comを退職することにした。

高校卒業後は大学に行かず流されるまま内装職人になり、人材派遣会社の営業として働き、ド素人の状態でIT企業に転職をした。DMM社は5社目となり、その中では一番長く勤めた会社となる。

上司、部下、仲間に恵まれてマーケティング本部の部長に長く従事させていただき、最大で100余名程度の組織にまで成長した。会社も入社当時400名程だったが、今では4000人を超え、日本マーケットに大きく影響を与えるユニコーン企業となっている。

『マーケティング』は部分的に、広告、SEO、クリエイティブ、CRMといった業務スキルは明確となっているものの、『マーケター』というスキルは常に様相を変え、その意義の幅を広げ続ける。いや、それをその時点で定義付けて止めることもできるが、『マーケット(市場)に対峙するマーケター』ではなくなってしまう。DMM社には有無を言わさずあらゆるマーケットに対峙し続けることができる、そんな環境であったため、否応なしに自身が何者であるかを日々考えることがとても大事だったと思う。

『マーケティング』はビジネスに時にスパイクを、そして安定的なスケールを与えることができるが、そのビジネスに流れる血を簡単に止め、潰すこともできる。既出の施策やアイデアを上回るイマジネーションが必要とされるが、物理的、収益的にできることを、試算に基づき決定し遂行していく必要もあった。

対となる要素を両輪として機能させて初めて『マーケター』の頭角が現れるのだとそう思う。そして大体の、人としての感情はビジネスにおいて損なわれていく(笑)

僕は、DMM社に入社をしてすぐにオンラインゲーム事業のWEBマーケティング全般を担当し、リード型広告のスケールとTGSなどリアルイベントの出展などを推進した。LTVの試算からROIの実情を調査し、収益を担保したかたちで吐き出せるだけの資金を広告費として投下していた。DMM FX以来の大規模な広告費投下だったと覚えている。

その後、ROIを担保したかたちでの広告運用というものを他事業でも一般化し、プラットフォーム収益全体を一貫して統括するマーケティング組織を作っている。マーケティングに付随する広告以外のチームも増設し、今や市場がテーマとして掲げる様々なマーケティング思慮として必要とされる組織要素はほぼ揃っている。

「完璧なマーケティング組織を作り上げ、事業やマーケットを正しい方向にけん引していくことができるようになりました!!」

と言えるかというと否。

兼ねてから『マーケティング』業務の重要な要素として口に出していることは、【ブリッジ】と【循環】。この2つの要素を無視することで、マーケティング組織というのはよくわからない横文字を不特定多数に発信する膨大な販管費と化すか、企業の経営戦略までを担うにまで昇華するか明暗が分かれる。

【ブリッジ】は地を繋ぐ橋。点と線といった二次元ではなく、事案や組織、人や情報、モノや金、これらが育んできた地場を「何を目指してどんな橋で節理に反さず繋いでいくか」という四次元の現実的な着想。

【循環】は、繋がれた橋で「目指したそれが定常的に達成され、新しい地場となるか」というリスク管理を含めた安定的な稼働。

この2つの要素に経済合理性を足し合わせて初めて『マーケティング』と呼べるものの全体像が見えてくるのだと。あとは、それに必要な地場を新しく作り上げる推進力やリスクを洗い出す圧倒的情報量が組織力となっていく。

気が付けば、IT企業に勤めて実に12年になる。12年経ってもなお、自分のマーケターとしてのスキルを明確に説明することができない苛立ちがあったり、逆にそれができたときには本当の終わりが来るのかとも考えたりしている。12年前、スマートフォンを片手にあらゆる情報の取得や業務をこなすことなど想像もしていなかった。Yahoo!以外の検索エンジンを使うことが普通になることなど想像もしていなかった。海外企業のGAFAによって生活がここまでテック化されるなど想像もしていなかった。

これから一層加速度的に変化していく情勢の中で、自分がいち個人として何ができるか、何をブリッジし、循環させられるのか、それらを見つけることが当面の目標であり、その目標に向かうために組織を離れたいとそう決意した。


僕がこの会社に残してきた『マーケティング』という職種はとても慈愛に溢れ、とても残酷だ。そして空想的で現実的。


初noteうぇい。


過去の結果を目標にしても意味がない 未来予測で最適化する、DMM流マーケティングの真髄

自走する個人、自走するプロ集団

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