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ちょっと特殊な深夜放送のリスナーたち『Across the view』『ミッキー安川の雑オロジー』ほか

『午前0時のラジオ局』(村山仁志・著)を読みながら、私が現場に立ったいくつかの深夜放送のことを思い出していた。

この小説『午前0時のラジオ局』シリーズでは、スタジオに幽霊が、寄り集まったりメッセージをよこしたりするシーンがたくさんあるのだが、深夜放送の現場にラジオネームで送られてくるFaxやメールはまさに幽霊からのメッセージと同じような感覚だ。送ってきた相手については文面に書かれた以上のことはわからないが、その人の行動や思考、喜怒哀楽だけが本人から剥離して飛んできたかのようにやってくる。

ほとんどのメッセージは、何かに渇望する人々の声だった。特に私が直接関わった三つの番組は、その傾向が強かった。

まず、投稿常連から半分リスナーのままの外部スタッフで参加していたのはJwaveの深夜番組『Across the view』で、当時まだ一部でしか有名でなかったモーリーロバートソンがDJをしていた時代だ。
この番組は、世界各地と電話でつなぎ、地球サイズの雑談をするという番組だったが、電話や音楽の合間にテーマを設けてメールやファックスを読み上げていた。この投稿者が、前衛アートや前衛文芸を目指す連中、前衛パフォーマンスや前衛音楽をやる連中、先端領域に携わる理科系の院生、編集者、通信サービスのモデレータ、意識ばかりがとんがった無職者など、社会の即戦力に難しそうな『はずれた鬼才』が、世に出たい、世に発信したい、早く世界を変えたいなどと飢えながら(やや捨て鉢になって)番組を引っ掻き回していた。電子音楽の即興大会やポエトリーリーディングのラリーをやったりした。リスナー同士のカップル成立も多かった。一定数リスナーが常連化するとモーリーロバートソンはいきなりリスナーを蹴散らして新企画に移行して、新しい常連を集め始めるという無茶苦茶なやりかたであったが、リスナーコミュニティの作り方には大きなノウハウを残した。私は常連からコーナー担当を経てカバン持ちやら用心棒(危ないストーカーも多かったのだ)を一年半ほどやった。その後Tokyo FMの仕事をすることとなり、以来会っていない。最近バラエティにまで出ているが、よかったと思う。

あの亡霊のような連中とは、未だに付き合いがある。相変わらず最先端にいる奴もいれば、未だに幽霊みたいな生き方をしている人も少なくない。肉体のある幽霊だ。

次は、Japan FM Networkから全国10局にネットされた『トッポライポのはいぱーとらっプ』だが、これについては別に書くことにする。

そのかわり、見えるラジオの現場オペレーターとして毎日のように深夜放送の現場にいたが、FMの深夜番組のリスナーは、DJの気を引きたいタイプの昔ながらのリスナーと、自ら番組に貢献して認められたい、と、無償でいろんな情報を集めてくるボランティア志向のリスナーが半々で、自らのオピニオンよりも情報のスピードと内容で勝負する『ひとり通信社』。経験豊かで知的なリスナーが揃っていた。

阪神淡路大震災のとき、大活躍したのが『ひとり通信社』たちであった。1994年1月17日午前5時46分、全国放送で地震の第一報を伝えたのは、実は『まんたんミュージック(深夜3時〜6時)』に送られてきた関西のリスナーからのFaxであった。地震速報よりも早く、また、関西のラジオ局でもまだ実際の情報を伝えられる状況になかったため、被害に関する最初の報告、つまり衝撃的な被害をラジオで最初に伝えたのが、この番組の『ひとり通信社』リスナーだったのだ。

これと正反対に、リスナーの情念や無念がストレートに番組に投げ込まれていたのが『ミッキー安川の雑オロジー』であった。
『雑オロジー』は、四半世紀を超えるミッキーさんの番組の中では最晩年から始まった番組のひとつで、ミッキーさんがノープランでスタジオに入って2時間自由に喋りまくるという番組であった。
それまでの『ずばり勝負』『朝まで勝負』『スーパーフライデー』などは、政治家や学者、評論家をゲストに招く番組のため、ゲストに対する意見や質問が大半であった。
しかし『雑オロジー』は、リスナーがミッキーさんに向かって言いたいことを言う投稿が多かった。リスナー層は『若者向け番組も、ラジオ深夜便も聞かない中高年齢層』。ミッキーさんに向かって語りかけるとはいうが、内容の多くは社会への怒り、政治への不満、つれない世間への恨み、夜な夜な繰り返されてきたような決意、世が世ならというねたみ、根拠のなさそうな告発や暴露、噂話など、昼間のラジオでは到底読めないような欲望と渇望に満ちたものが半分以上を占めていた。

実体を見たことがない発信者から送られてくる感情剥き出しのメッセージは、まさにその後、日本会議や維新の会を支援してゆく『不遇感を持つ不満層』を形成するのだが、いま、与党や維新の会の議員が言っているような失言がそのまま番組に送られてきたのだ。

さすがに酷いものは避けたが、そんな『世が世なら俺はこんなはずではなかった』というタイプのリスナーのメッセージには、共通するテイストがあった。それは憲法改正や北方領土奪還、在日外国人排除、日教組解体、教育勅語の復活、自衛隊の増強など、民主党政権終了後大々的に鳴り響きはじめた声であり、のちに『黒い保守層』がそんな背景から組織化されていった事がわかった。

もちろん『ずばり』などには、日本会議系の人物がゲストに出ることは多かったが、その頃ラジオ各局とも、安く使えるコメンテイターとしてそんな人々を出していたからミッキーさんばかりの傾向ではない。ミッキーさんは、他局が呼ばなかった上田哲や、犯罪者扱いされていた佐藤優をスタジオに招き、また、日本共産党の小池議員を呼んだのも、他局よりはやかった。何より、ゲストの常連には民主党の田中慶秋議員もいたし、民主党が政権を取る直前は、戦後自民党政治への批判をする側に回った。政治的には保守的ではあったが、極がつく連中は(耳は貸したが)嫌っていた。

しかし、深夜に寄越される気炎のメッセージは、やたら右寄りの極論が多く、そこには恨み節が通底していた。

民主党政権が終わったあと、どうやらパンドラの箱が開き、閉じ込められていた欲望や喜怒哀楽が吹きさらされたらしい。当時夜中に飛び込んできたファックスみたいなメッセージがSNSで飛び交い、政治に影響を与えているのだ。いま、枯れ尾花みたいな幽霊たちの声に、社会が引っ掻き回されていると言っても過言ではない。


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