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青木昆陽ゆかりの地を訪れました

青木昆陽と言うと、僕の世代では「江戸むらさき特急」に描かれたシュールな姿が印象的です。

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小学生の頃、「まんが日本の歴史」的な本を読んでいたら、青木昆陽という人が飢饉対策のために痩せた土地でも育ち繁殖力も強い甘藷(さつまいも)の栽培を奨励したエピソードが載せられていて、興味を持って読んでいました。
「栗より美味い十三里」(栗=九里、より=四里にかけた洒落)というフレーズが今でも印象に残っています。

そして、偉大な功績を残された偉人にも関わらず、概ね現代においては江戸むらさき特急などのようにユーモア・滑稽の対象として扱われる事が多いのも印象的です。私が大学時代に同級生のアングラ劇団の舞台を見てたら、なぜか主人公の必殺技が「青木昆陽」(両腕を上げて「アオキコンヨーッツ!!」とか叫ぶ)だったということもありました。

そんな青木昆陽ですが、彼にまつわる史跡は東京近くの便の良い場所にあるので、ちょっと見て回ってきました。

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まずはこちら。目黒不動尊。青木昆陽のお墓があることで有名で、そのこともあり各種史跡が配置されています。東急目黒線の不動前駅が最寄り駅です。

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門をくぐって左手側に、青木昆陽の碑が飾られています。左手が昆陽青木先生之碑、右手が甘藷講碑、いずれもサツマイモ業者が業績をたたえて建立したもののようです。

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目黒不動尊の境内には他にも青木昆陽関連の掲示をかなり見かけます。目黒不動尊では、青木昆陽にちなんで毎年10月に「甘藷祭り」が行われたりと、サツマイモ関連のイベントを多く実施しているようです。

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こちらのサツマイモ畑は、近くの子どもたちが植えたもののようです。こちらも毎年10月に収穫をするとのこと。

そもそもなんで、目黒不動尊に青木昆陽の史跡が多いのか。青木昆陽は晩年は目黒周辺(大鳥神社付近)に邸宅を構えていて、その縁もあり亡くなった際にも目黒不動尊に墓を設けたことが由縁のようです。
青木昆陽のお墓は一般の方も参拝が可能になっています。私はお墓の写真は撮らない主義なので写真は割愛します。

目黒不動尊以外にも、青木昆陽に関わる史跡は都内付近に点在しています。その中で、ここでは青木昆陽の名前を冠した「昆陽神社」についても書きます。
こちらはJR幕張駅/京成幕張駅の近く、幕張メッセやマリンスタジアムがある方でない、「じゃない方」の幕張駅近くに建てられた神社です。じゃない方といいつつ幕張駅周辺の方がずっと歴史は古いです。

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緊急事態宣言発出中は県をまたいでの移動が推奨されていなかったので、ここでは3年くらい前に訪れた際の写真を貼ります。

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かなり簡素な作りになっており、人気のまったくない敷地に新しめの鳥居とお社が並んでいます。この幕張の地は東京の小石川の薬草園と同様に甘藷の栽培試験地となっていたようで、その事にちなんでこの地に神社が建てられたようです。

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さつまいもの栽培の奨励、極めて地味で凄みのないフレーズに聞こえますが、この施策のおかげで、後に発生した天明の大飢饉の際に多くの人の命が救われた事実は大きく、そのことに対する感謝の気持ちが今の時代まで語り継がれ受け継がれているのはすごいことだと思います。

翻って今の時代、新型コロナウイルスの蔓延により世界中の多くの人が苦しめられていると思いますが、100年後の世まで人々を救った救世主として功績が讃えられる人はいるのでしょうか。
mRNAワクチンを1年に満たない開発期間で世に投じた人たち、そのプロセスに関わった人たちは、その可能性はありそうです。


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