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見たくないもの

今日は快晴。
冬も終わりが近づいてきました。
ややこしい世情に緊張が続いている人が多いと思うので、春と共に心が緩んだらいいなぁと思います。


以前、SNSでトイレ掃除を何年も続けている方の記事を読みました。
詳しくは覚えていないのですが、何事も続けることで揺るぎない自信になる…といった内容だったかと思います。
その時は「ふーん」といった程度の認識だったんですが、最近ふと「自分もやってみよう」と思い立ち毎朝トイレ掃除を始めました。
日々生活スペースはどんどん汚れていくわけですが、とりわけトイレは汚れやすいですよね。
そしてなぜか排泄ってなんだか恥ずかしいものとか隠したいもの、という認識があります。
(性についても同じですね)
だからリビングが表(表層)としたらトイレは裏(本質)の場所じゃないかと思います。
表は目立つし意識が向きやすい。
裏はなんとなく隠したくなったり出したくなかったりする場所です。
そんな場所だからこそ毎日掃除することで心が変化するのではないか…。
そんなことを思ったから始めた…わけではないんですが、改めて思うと無意識的に感じていたように思います。


そしてやり始めるとやはり調子がいい。
汚くなりやすいところが汚いままだと心がどこか曇るんですよね。
「あー、ほんとはきれいにしたい…けど面倒、時間がない…」と思っている内になぜか後ろめたい感覚に陥ります。
別に自分のことなので後ろめたく思う必要は全然ないわけですが、特に裏(本質)の部分を汚いままにしていることに罪悪感のようなものを感じてしまうような気がしています。

そういった後ろめたさが無くなってすっきりしました。
そして「汚いところに向き合う」ということが他の部分にも影響するような気がしています。
人間、誰しもクサイものにはフタしたくなるものです。
「あー、あれやらなきゃな…」と思っていてもついついラクな方へ逃げてしまう。
自分の課題に向き合おうとするともう一人の自分が巧妙に守ってしまうんですよね。
たしかに課題に直面させないことで傷つくことを避ける効果はあります。
でもそれを続けていては成長できない。
日々、トイレという汚いところと向き合うことは課題に向き合うトレーニングになっている…。
大げさに言うとそんな風に感じています。

ちなみに私がいつも感謝しているのはトイレなどをキレイにしてくれる清掃の仕事をされている方です。
日本はやはりトイレがとてもキレイだと思います。
(海外にほとんど行ったことがない自分が言ってはいけないセリフですが、話を聞いている限り間違いないと思います)

それは一日に何度も掃除してくれる人がいるからこそだと思います。
掃除に限らず、汚いところや危険に関わる仕事をしている人に感謝の念を強く感じます。
しかし、そういった仕事は低く見られがちだと思います。
私は華やかな仕事と同じかそれ以上に価値がある仕事だと思っています。
トイレに入ったとき、掃除中だと「早く終わらせてくれよ〜」と思ってしまうかもしれませんが、きれいなトイレを保てているのは掃除してくれる人のおかげです。
感謝の気持ちを持てる人が増えてほしいなぁと思います。

そして毎日のトイレ掃除、オススメですよ(^-^)

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